ノアの裸の話

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ノアの方舟の話は皆さんご存知のことでしょう。大洪水の予言を受けたノアが 方舟をつくって家族と動物を救ったという話である。(旧約聖書創世記6/11 - 7/22参照)さてこの話の続きに、不可解な話が出てくる。

「さて、ノアは農夫となり、葡萄畑を作った。ある時、ノアは葡萄酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。」(創世記9/20, 21)

このように前後不覚に寝ている、全裸の父親を見たノアの末息子ハムは面白がってあるいは恥ずべきものとして二人の兄達にそれを告げる。二人の兄達セムとヤフェトは、後ろ向きに歩いて行き、顔を背けたまま着物で父の裸を覆ったという。そしてノアは激怒し、末息子ハムの子供カナンを呪う。

「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」(創世記9/25)カナンはハムの息子であるが、どうしてハムの行為がそれほど大きな問題になったのであろうか。この話は何を言わんとしているのであろうか。

一説にはノアの息子3人がノアから出た諸氏族として全世界に広がったとある。ノアの長男のセム系の子孫がイスラエルの民として、アブラハムなどを出して、聖書の当事者になり、父親ノアの裸を見た、ハム系の子孫は、エジプトやアッシリ ヤ、カナン、シドン、アモリ人など、イスラエル周辺の重要な近隣諸国になる。もう一人の兄弟、ヤフェトの子孫は、ゴメルとかマゴクとか遠くの北方民族の国となる。この話が編集された当時の背景には、イスラエル民族の苦難期、補囚期で、亡国の民であったが、全世界の人々はイスラエルと同じ祖先から出たのだという、国際意識を持つことにより、自己の民族してのアイディンティを確認したかったからだという。

その説の故にかどうか分からないが、黒人奴隷の時代には黒人をカナンの子孫であるとして奴隷制度の正当化にこの話が使われたこともあるようである。

また裸のとらえ方がこの話の鍵であるという考えもある。旧約聖書では男性の隠し所を非常に重要な場所としている。

「あなたは階段によってわたしの祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所が、その上にあらわれることのないようにするためである。」(出エジプト記 20/26)

「二人の人が互いに争うときに、そのひとりの妻が、打つ者の手から夫を救おうとして近づき、手を伸べて、その人の隠し所をつかまえるならば、その女の手を切り落さなければならない。」(申命記25/11,12)

結婚の過程をヘブライ語でキドゥシンという。神聖、あるいは聖化という意味である。結婚という儀式を通し、夫婦が一つの単位をし健全な子孫を産み増やしていく場に神が祝福を与えるというのである。男女の愛は神聖なものであるべきだという。旧約聖書の最初に人類の最初の夫婦であるアダムとエバは禁断の木の実 を取って食べる前には裸であっても恥かしくなく純粋であったが、取って食べた後には裸を恥じるようになったとある。

以上から裸を興味本位に扱うことに対する戒めとしてこの話を考えることができ る。人間の裸、特に生殖器は本来神聖なものとして興味本位に扱われたりやいたずらに卑猥なものとされるべきものではなかったのかもしれない。

(引用した資料)

旧約聖書の謎に挑戦 - 裸のノアと、その息子たち