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ユダヤ王国と神殿建設

モーセの使命を継承したヨシュアが、イスラエル民族を率いてカナンの地に入った後、15代の士師が約400年間、イスラエル民族を治めた。そして最後の士師サムエルは、サウルに油を注いで祝福し、イスラエルの王国の最初の王とした。(サムエル上10/1)

サウルの次の二代目の王がダビデである。このダビデが王国の基礎を築き上げ、またエルサレムの発祥の地とされるダビデの町を築き上げたるのである。そして三代目の王のソロモンのときに最初の神殿(第一神殿)が建設された。

紀元前1000年頃、ダビデ王とその従者たちとはエルサレムへ行って、その地の住民エブス人を攻め、シオンの要害を取った。これがダビデの町である。ダビデは、エブス人を水をくみ上げる縦穴から兵を送り攻略したのである。(サムエル記下5/6-8)

ダビデの町は現在のエルサレムの旧市街の嘆きの壁近くの糞門を出た南側にあったとされ、第一神殿時代の遺跡の発掘作業が進められている。発掘作業の過程で発見されたウォーレンの縦穴は上記のダビデ王のエルサレム攻略の際に使われた縦穴と考えられている。

ダビデの町も旧市街と同様、現在の住民の大半はアラブ人であるが、熱狂的ユダヤ教徒はその一体はダビデの時代からユダヤ人のものだ主張し、アラブ人との衝突がある。

ダビデはダビデの町のうちに自分のために家を建て、また神の箱(中にはモーセが受けとったとされる十戒の記された石板が安置されており、荒野でカナンの地を目指し流浪するイスラエルの民を一体とする信仰の対象であった。)のために所を備え、これがために幕屋を張った。(歴代志上15/1)神の箱の中にはモーセが受けとったとされる十戒の記された石板が安置されており、荒野でカナンの地を目指し流浪するイスラエルの民を一体とする信仰の対象であった。

今わたしは香柏の家に住んでいるが、神の箱はなお幕屋のうちにある。(サムエル下7/2)ダビデは神の箱ならびに幕屋をカナンの地に定着したイスラエル民族の信仰の対象として神殿として完成させようとしたようである。また新約聖書のヨハネによる福音書2/21にイエスキリストが自分の体を神殿に例えていることから、この神殿はイスラエル民族が待ち望むメシヤを象徴するものでもあったと考えられる。ちなみにイエスキリストの言動には旧約聖書から用いられているものが多くあるようである。2000年メシヤ到来を願う狂信的グループが現在神殿の丘を目指しているのも、神殿の丘とメシヤの関連を信じているのであろう。

主の僕はガデに命じ、ダビデが上って行ってエブスびとオルナンの打ち場で主のために一つの祭壇を築くように告げさせた。・・・・ダビデはその所のために金六百シケルをはかって、オルナンに払った。・・・・ダビデは命じてイスラエルの地にいる他国人を集めさせ、また神の家を建てるのに用いる石を切るために石工を定めた。ダビデはまた門のとびらのくぎ、およびかすがいに用いる鉄をおびただしく備えた。また香柏を数えきれないほど備えた。・・・・こうしてダビデは死ぬ前に多くの物資を準備した。そして彼はその子ソロモンを召してイスラエルの神、主のために家を建てることを命じた。(歴代志上21/18-22/6)

イスラエルの人々がエジプトの地を出て後四百八十年、ソロモンがイスラエルの王となって第四年のジフの月すなわち二月に、ソロモンは主のために宮を建てることを始めた。(列王紀上6/1)

ダビデは神殿建設を精力的に目指したが、果たせなかったのは、聖書の記録によるとダビデは王国の基礎を築くための幾多の戦争を繰り返したがゆえに、平和の時代の訪れるソロモンの時代へと繰り越されたとある。

現在のイスラエルの国も戦争の繰り返しで建国されたわけであるが、中東和平の話し合いが進む中、次には平和の時代が訪れ、イスラエルの人々にとっても真の安住の地となるように願われる。

(引用した資料)

Highlights in the History of Jerusalem and the Temple Mount

Does God Need A Temple?

 

ソロモン王の時代

ソロモン王は父ダビデ王の意志を引き継いで最初の神殿(現在第一神殿と呼ばれている)の建設をその治世の代4年目の紀元前1034年に開始し、治世の代12年目の紀元前1026年に完成させたとされ、この神殿はその後、ネブカドネザル王が率いるバビロニア帝国軍に滅ぼされる紀元前607年まで存続したとされている。

このソロモン王は、非常に聡明な王だったと言われる。政治の組織作りや文化事業など、あらゆる面に彼の知恵は発揮されたとされ、統一王国は大いに発展する。

ソロモン王に関する有名な話として、その名裁きがある。筆者も中学だったか高校だったかの英語の教材で読んだ覚えがあるが、以下のような内容である。

それぞれ1人の赤ん坊を自分の子供だと主張する2人の女がソロモン王のところに訴えてきた。そこでソロモン王は二人にある提案をした。それは刀で赤ん坊を二つに切って、半分づつ分けるというものであった。その提案に対し、一人は赤ん坊をそのまま相手の女に渡してくださいと訴え、他方は提案どおりにしてくださいと訴えた。それを聞いたソロモン王は最初の女こそ実の母親であると見極めたという。

繁栄を極めていたイスラエルの統一王国には多くの客人が訪れたとされる。その中には現在のエチオピア系のユダヤ人の由来を語るのに重要なシバの女王(queen of sheba)も含まれる。シバの女王はソロモン王の物語に登場するアラビアの女王である。シバは国名で、南アラビアの人々、およびそこから紅海を渡ってエチオピアに植民した人々を、旧約聖書は「シバ人」と呼んでいる。

シバの女王はソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやってきたが、ソロモンはその全てに解答を与えたとされる。

エチオピア建国の祖メネリク王は、ソロモン王とシバの女王の子という伝説が、現在も残っているそうであるが、エチオピア系ユダヤ人の由来はこの時代のイスラエルとエチオピアの交流にまでさかのぼって語られる。

ちなみにエチオピア系ユダヤ人は1985年のモーゼ作戦と1991年のソロモン作戦と呼ばれる軍用機を用いた大空輸作戦で多数がイスラエルへ移住した。しかしユダヤ人の血を引くといっても肌の色は全く異なり、イスラエルの中に少なからぬ人種問題を引き起こしている。

ソロモン王は非常に優れた王であったが、男性の共通の弱点である女性問題には打ち勝つことはできなかったようである。ソロモンは700人の王妃と300人の妾をかこっていたそうである。特にその晩年には異教徒の王妃や妾の影響を受け異教を崇拝するにいたった。中国の唐の時代の名君とされる玄宗皇帝が楊貴妃を溺愛し、そのことが唐の滅亡へとつながったように、ソロモン王の晩年の醜態はその後の統一王国の分裂へとつながることになる。

(引用した資料)

『旧訳聖書』列王記上 10/1-13

 

ユダヤ王国の分裂

紀元前933年、ユダヤ王国は、南のユダ王国および北のイスラエル王国に分割される。ユダヤ王国はユダヤの12部族による統一王国であったが、この分裂により10の部族は、北のイスラエル王国、そして残りの2部族が南のユダ王国を治めるようになる。

南北の王朝のうち北の王朝は260年間に19回王が交替し、その度に殺害などの陰惨な王室の変遷がなされた。それに対し南の王朝はイスラエル民族のそれまでの信仰を保つ傾向にあった。南から多くの預言者が出て、北の王朝にイスラエルの信仰を保つように働きかけがなされた。預言者エリヤはその代表的存在であり、メシヤの到来に先がけてエリヤが再臨すると信じられるようになる。

その後北のイスラエル王国は、紀元前722年にアッスリアにより追放され、現在のイスラエルの地には戻らなくなった。『ついに主はそのしもべである預言者たちによって言われたように、イスラエルをみ前から除き去られた。こうしてイスラエルは自分の国からアッスリアに移されて今日に至っている。』(列王記下17/23) それらはイスラエルの失われた10部族と呼ばれる。この10部族の後孫と考えられる人々がインドやアジア各地に存在しているそうである。そこでは古代のユダヤの習慣が残っているそうである。一説によると10部族のうち日本に来た部族もあるそうで、神道の習慣の中には古代のユダヤの習慣から来たものだと考えられるものもあるそうである。

北の王朝滅亡に続き、南の王朝も中東を広く治め勢力を拡大しつつあったバビロンの攻撃を受けるようになる。バビロンを強大国家にしたネブカドネザル王はエルサレムを攻撃し、ソロモンの建設した神殿 (第一神殿) を破壊し、南の王朝の王族、大臣をはじめ多くのユダヤ人を捕虜として連行し、南の王朝も滅亡に至る。

イスラエル民族の苦難の歴史はこのような紀元前の時代にも数多くみられるのである。

(引用した資料)

Israelites Came To Ancient Japan

The Destruction of the First Temple