イエスの十字架後

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エルサレム陥落

イエス キリストの死後もユダヤの地はローマによって支配されていた。そして過酷なローマ帝国の支配に耐えかねたユダヤ人は、紀元66年に大反乱を起こした。時のローマ皇帝ネロは軍を派遣し、激しい戦いが繰り広げられた。ユダヤ側の犠牲者を百万人以上との記録もある。紀元70年にはエルサレムが陥落し、ユダヤ人の聖地である神殿も唯一西側の城壁を残し破壊された。イエス キリストが実際にエルサレムの崩壊を予言して涙したという聖書の記述が現実のものとなったわけである。唯一残った西側の城壁が「西の壁」あるいは「嘆きの壁」と呼ばれる今日のユダヤ人の最も聖なる場所である。

 

マサダ要塞

それから3年の間、ユダヤ人1000人あまりが死海のほとりの周囲を断崖絶壁に囲まれた地上400メートルの岩山に築かれた要塞に立てこもりローマ支配に抵抗し続けた。しかし紀元73年ローマ軍一万人に囲まれ、「異教徒の辱めを受けることを潔しとせず」として、篭城していたほぼ全員が自決した。これがマサダ要塞である。現在観光地として一般観光客に開放されている。またイスラエル軍の入隊式はこの地で行われ、「マサダを二度と落とさせない」という入隊の宣誓をするそうである。

紀元73年以後、1948年の国家再建まで世界を放浪せざるをえなくなったユダヤ人にとって、マサダは二度と陥落されてはならない最後の砦なのであろう。パレスチナの民衆の暴動に対し過剰なまでの防衛あるいは反撃を行うイスラエル軍兵士の頭の中にはマサダの誓いが深く刻まれているのであろうか。

 

ユダヤ人キリスト教

イエス キリストの死後、復活しやがて再び地上に訪れるイエス キリストを崇拝する集団が形成された。原始キリスト教会がエルサレム、ユダヤ、サマリア、ガリラヤに建設された。そのメンバーはほぼユダヤ人であったようである。安息日に礼拝し、シナゴーグにも通い、男の赤ん坊には割礼も施していたようである。

しかしユダヤ教がローマからの政治的な解放や独立を目指していたのに対し、原始キリスト教会は精神的自立を説いた。そして取税人や売春婦といった最下層民の救済を唱え、聖パウロなど異邦人への無差別化、積極的な伝道活動を行った。

しかし異邦人のキリスト教の迅速な受け入れは、キリスト教とユダヤ教の分離を進めた。聖パウロの宣教は異邦人世界へ広くキリスト教の信仰をもたらしたが、そこでのキリスト教はユダヤ人のルーツから離れていった。その後異邦人のキリスト教が主流になり、今日のキリスト教へと発展していくが、ユダヤ人キリスト教は衰退してします。今日イエス キリストをメシヤとして信奉するユダヤ人はメサイアニック ジューという集団のみである。

 

ユダヤ人の完全な離散の始まり

73年にローマによって叩きのめされたユダヤ人であったが、エルサレムに残ったユダヤ人もいた。時は過ぎて、132年にユダヤ人の熱心党員がローマに対し再び反乱を起こした。しかし135年に反乱がローマの皇帝ハドリアヌスによって鎮圧され、エルサレムから全てのユダヤ人が追放された。ハドリアヌスはエルサレムをローマ風の都市に再建し、自らの姓にちなんでアエリア キャピトリナと名付けた。ユダヤ人はエルサレムに住むことも禁じられ、ユダヤ人の「ディアスポラ」(離散)が決定的なものになった。