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7世紀から9世紀にかけてイスラム勢力により打ち立てられたウマイヤ朝カリフ帝国は中東・北アフリカ・イベリア半島を支配下に治めた。エルサレムがカリフ帝国に属していたときには、キリスト教の巡礼者たちがは手厚い待遇を受けていた。11世紀に入り、中央アジアから興ったセルジュクトルコの急速な発展によりカリフ帝国は滅ぶ。11世紀終わり、セルジュクトルコは領土を西へと拡大するために、東ローマ帝国へと攻撃をしかけるようになった。東ローマ帝国は、有効な防衛策を見出せず、ローマ法皇に援助を求めた。当時の法皇ウルバヌス2世はこれにこたえ、1095年中部フランスのクレルモンで宗教会議を開き、セルジュクトルコによって巡礼に向かうキリスト教徒が襲われたり、キリスト教の聖地や聖遺物が破壊されたりする事件をもとにエルサレムの聖地を異教徒の手から取り戻すよう訴えた。これに対し、参集した聖職者、王侯、騎士をはじめ、都市民、農民まで十時の印をつけて聖地回復の遠征に参加することを誓い、ここに十字軍の遠征が実現されることになった。

この十字軍がユダヤ人に与えた影響は非常に大きかった。それとともに東方キリスト教会に対しても大きな影響を与えた。それを証拠に現ローマ法皇ヨハネパウロ二世は十字軍がユダヤ人と東方キリスト教会に対してなした蛮行に対する許しを乞い和解を説いている。

エルサレム奪還が目的である十字軍の一部はヨーロッパ内の非キリスト教徒である「神の敵」ユダヤ人に迫害を加え、ユダヤ人共同体は破壊され、シナゴーグは焼き払われ、家や店は略奪され、何千人もの死者、それに無数の難民が出た。洗礼を受けたユダヤ人だけはかろうじて助かったという状況があったそうである。また東方キリスト教会に対しても略奪などがなされたようである。

さらにエルサレムでも悲惨な状況があったそうである。1096年に第1回十字軍が派遣され、1099年エルサレムを攻略、エルサレム王国が設立されたが、この時十字軍兵士達は殺戮と掠奪をほしいままにし、老若男女を問わず住民約7万人を虐殺したそうである。

本来、個人、社会、国家を善に導かなければならない宗教が権力のために剣を振りかざすと悲惨なことになる。当時ローマ法皇の権威は有名なカノッサの屈辱(1077)に見られるように著しく高まっており、法皇は十字軍を利用して権力の拡大を図っていたと考えられている。映画「ブラザー サン シスター ムーン」で修道士聖フランシスコがローマ法皇にに勧告して、内的な刷新運動を起こしたことが描かれているが、これはまさにこの当時の状況を物語っている。

新約聖書に「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。」(マタイ26/52)とあるように、1096年に起こった十字軍は、約200年にわたって、7回の遠征を行ったのであるが、これといった成果なく失敗に終わっている。

1187年にはアイユーブ朝を開いたサラディンがイスラム勢力を結集して十字軍を破り、エルサレム王国からエルサレムの地を奪回した。以後一時期再びキリスト教徒がエルサレムを治めることはあったものの、1244年以後、1917年にイギリス軍が占領するまで、エルサレムはイスラム教徒の支配下に置かれた。

十字軍の失敗によりローマ法皇の権威は失墜し、ユダヤ人や東方キリスト教会に禍根を残した。ヨハネ パウロ二世の試みによりようやく和解への道は開けてきているのが幸いである。

キリスト教文化圏とイスラム教文化圏の間にあるわだかまりも歴史的なものが起因しているのだろうか。各宗教が個人、社会、国家を善に導くという本来の役割に立ちかえり、過去の過ちを清算し、新しい和解と調和の歴史が始まることが望まれる。

(引用した資料)

世界史ノート(中世編): 十字軍とその影響

世界史ノート: イスラム世界の発展