ハザール汗国

イエスキリスト誕生
イエスの足跡1
イエスの足跡2
イエスの十字架後
聖都エルサレム
ハザール汗国
中世イスラム社会
中世キリスト教社会
十字軍

サイトマップ

 

 

135年にローマ帝国に対するバル コホバの反乱がローマ皇帝ハドリアヌスによって鎮圧され、黒髪・黒目で肌の浅黒い「セム系」ユダヤ人は徹底的に追放された。その多くが地中海沿岸、特にイベリア半島(スペイン)に移住したようである。現在セム系の特徴をもつユダヤ人はスファラディと呼ばれるが、スファラディとは、ヘブライ語で「スペイン」を意味する。

一方白人系の特徴をもつユダヤ人はアシュケナジーと呼ばれる。アシュケナジーとはドイツの地名にもなっており、もとはアーリア系民族の名前であったそうである。アシュケナジーの起源は過去のある国での大規模なユダヤ教への改宗にあったという説もある。

6世紀頃、現在のウクライナのある地を中心にトルコ系ハザール汗国が勃興し、8世紀に最盛期を迎えた。当時東にイスラム教を奉じるイスラム帝国、西にキリスト教(東方正教会)を奉じるビザンティン帝国(東ローマ帝国)という二大超大国と国境を接していた。アラブ側からはイスラム教の布教を求められ、ビザンティン側からはキリスト教の布教を求められたそうである。

ビザンティン帝国とイスラム帝国の双方共に敵に回したくはないハザール汗国は結局キリスト教でもなく、イスラム教でもない、第三の宗教「ユダヤ教」を国教として選択したというのである。

しかしハザール汗国はビザンティン帝国の謀略、国内諸民族の紛争、国土の荒廃、経済基盤の崩壊によって9世紀には衰亡し、10世紀に遂に国家が消滅し、ハザール人は各地へ離散してしまったとされる。

現在でもウクライナ、ベラルーシ、リトアニアにユダヤ定住区域が存在するそうである。ウクライナを中心に分布する東ヨーロッパのユダヤ人はハザール汗国時代のユダヤ人に起源をもつと考えられているそうである。

イスラエルでは90年代ソ連の崩壊とともにロシアからの移民が急増した。ロシアに大量のユダヤ人がいるのかという疑問に対し、ハザール汗国時代のユダヤ人がロシアに広く住み着いたと考えると妙に納得がいく。