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ローマによるエルサレム支配

ローマ帝国に対するバル コホバの乱失敗によってユダヤ人はエルサレムに住むことを禁じられ世界中に離散することになった。その際、エルサレムはアエリア・キャピトリーナと改称された。第二神殿の跡地にはローマの神であるジュピターを祭る神殿が建てられ、イエスが処刑されたゴルゴダの丘にはヴィーナスの神殿が建設された。

ローマの支配下の元でキリスト教は着実に広がっていた。しかしキリスト教信者が一切の偶像礼拝を拒んだことは社会の安定と秩序を脅かす犯罪とみなされた。ローマ帝国はキリスト教の迫害を始めた。迫害は初め地方レベルで、散発的であった。しかし3世紀半ばになるとローマ帝国は国家の方針としてキリスト教に対して本格的に弾圧を加え始めた。ところがそのキリスト教に転機が訪れたのがコンスタンチヌス大帝の登場である。313年のミラノ勅令をもって、ローマ帝国はキリスト教を合法的なものとみなした。そしてそれはエルサレムにとっても転機となった。

 

キリスト教の聖都としてのエルサレムの始まり

コンスタンティヌス大帝の母ヘレナは熱心なキリスト教徒でコンスタンチヌス大帝のキリスト教受け入れにも影響を及ぼしたと考えられている。そのヘレナのイエス キリストゆかりの聖跡再発見の旅により、イエス キリストが十字架に掛けられた場所、埋葬された場所など、イエス キリストにゆかりのある場所が特定され、教会が次々と建設された。現在キリスト教徒が聖地巡礼に訪れる教会などはこの時代に由来を発するものが多い。バル コホバの乱後アエリア キャピトリーナの呼ばれていたのも再びエルサレムと改称された。キリスト教の聖地としてのエルサレムの始まりである。

 

イスラム教の聖都としてのエルサレムの始まり

570年にサウジアラビアのメッカに生まれたモハメッドは40歳のとき、啓示を受けイスラム教の布教を始めた。その後イスラム教はアラビア半島全域に広がった。2代目カリフのオマール カタブは 634年に当時エルサレムを治めていた東ローマ帝国に対する戦いを始めた。638年、東ローマ帝国のエルサレム統治者であったキリスト教徒ソフロニウス主教はイスラムのオマール カタブに戦わずして降伏した。アラブ側の記録によるとその際の条件はユダヤ人をエルサレムに住ませないことであったそうである。しかし最終的にはキリスト教徒もユダヤ教徒も自由に礼拝を行うことが認められたようである。

余談であるが、アラファト議長は度々自らをオマール カタブの霊的後孫である述べて、イスラエル側の神経をとがらせることがあるそうである。

モハメッドは実際にはメディナで死んでいたが、幻となってユダヤの神殿の上に現れ、昇天したとイスラム教徒は信じているそうである。それゆえエルサレムはイスラム教徒にとっても特別な地と考えられている。

(コーラン:夜の旅章 〔アル・イスラー〕の1)
「かれに栄光あれ。そのしもべを(マッカの)聖なるマスジドからわれが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに夜間旅をさせた。」

7世紀の終わりにかけて、現在エルサレムのシンボルともなっている岩のドームと呼ばれるモスクがユダヤ教の第二神殿跡に建設された。このドームの中にイスラム教徒がモハメッドが昇天した場所と考えている岩がある。イスラム教の聖都としてのエルサレムの始まりである。

(引用した資料)

日本ムスリム情報事務局 - 聖クルアーン