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中世イスラム社会でのユダヤ人

バル コホバの反乱失敗により離散の民となったユダヤ人の多くは地中海沿岸、特にイベリア半島に移住した。ユダヤ人たちは離散の地でユダヤ人の日常規範であるハラハーに従って生活をした。全てはシナイ山で神がモーセに授けた旧約聖書に記されている戒律が基本となっているが、時代の変化に対応した注釈がラビ(ユダヤ教の聖職者)によって追加されてきたのである。そうして生活原理の規範であるタルムードが成立した。タルムードに記された情報量は膨大であり、神学院(イエシヴァ)において現在でもタルムードの研究がなされている。

ユダヤ人が離散の地でも自らのアイデンティティを失わず現在に至ることができたのは時代の変化や環境の変化に対しても常に戒律を中心として対処し、厳格に自らの日常規範に従ってきたからであろうか。

7世紀に入り、イスラム教の誕生とともに、ユダヤ人たちの離散の地はイスラム教の影響下にある地域とキリスト教の影響下にある地域の大きく二つに分けられるようになった。イスラム帝国は西アジアから北アフリカとイベリア半島南部を支配下に治めた。

現在イスラム諸国とイスラエルは敵対関係にあり、パレスチナの民衆とイスラエル軍の衝突は日常茶飯事になっている。現在の状況を考えると到底考えられないが、中世イスラム社会ではアラブ人とユダヤ人は共存していたそうである。

中世イスラム社会においてアラブ人はユダヤ人を被保護民族と位置づけ、特別な人頭税を課す代わりに、その宗教と生活を保護した。中世イスラム社会では学術活動も盛んになされ、ユダヤの思想文化面に輝かしい展開もみられたそうである。

9世紀から10世紀にかけてのスペインにおいてアラブ人を助けて政府の要人、学者、医者として活躍したユダヤ人が数多くいたそうである。

中世イスラム社会とは対照的に、中世ヨーロッパのキリスト教社会においてはユダヤ人たちは差別や迫害を受けたようである。

現在ではイスラエルを支持するのはキリスト教国の米国で、逆にイスラエルに反感をもっているのがイスラム諸国と中世とは逆の構図になっている。その後の歴史が現在のような構図を作り出す要因となったのであろうか。

今日のパレスチナ問題を考える上で中世ヨーロッパのキリスト教社会でのユダヤ人たちの境遇、ナチスドイツのユダヤ人政策、世界大戦時のヨーロッパ列強の中東地域の支配などは考察すべきものであろう。

複雑な歴史をたどってきたにしろ早く異宗教徒、異民族が共存できる中東となってほしいものである。