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○シャロン政権誕生

イスラエルとパレスチナの和平実現へ向けてオスロ合意をもとに努力が続けられてきたが、現在その現在オスロ合意の枠組みそのものが崩れようとしている。

1993年9月にワシントンで調印されたオスロ合意の根幹はPLOとイスラエル政府の相互承認であった。それまで、PLOはイスラエル国家を承認せず、全土解放を主張する一方、イスラエル政府はPLOをテロリスト機関とみなしていた。それ以後イスラエル占領地ヨルダン川西岸とガザ地区でPLOによる自治が開始され、将来のパレスチナ国家をにらみながら、難民問題、ユダヤ人入植地、エルサレム問題、境界線などが最終地位交渉の中で協議されることとなった。その交渉期限の2000年9月、駆け込み的に最終合意までこぎつけようとしたが、東エルサレムの主権問題で同意が得られず、失敗した。

2000年9月28日にシャロン リクード党首(現イスラエル首相)ら議員団がアル アクサ寺院などの聖地がある神殿の丘を訪問したことからパレスチナ民衆による暴動が始まり、イスラエル国防軍との衝突が現在に至るまで続いている。

中東和平への方向性が失われた結果、イスラエルではパレスチナ人との共存を目指す左派政治家(バラク前首相ら)への支持が失われ、パレスチナではイスラエルと戦って奪われた領土を取り戻そうとするハマスやイスラム聖戦などイスラム主義武装組織によるテロ活動が活発になった。

2001年に入り、イスラエルではシャロン リクード党首が首相に就任し、労働党からリクード党へと政権交代があった。

リクード党はもともとヨルダン川から地中海まですべてをイスラエルの領土とする大イスラエル主義を掲げており、同党が政権についた際には急速な勢いで占領地ヨルダン川西岸とガザ地区にユダヤ人入植地を建設した。その背景には「神がユダヤ人に約束した土地を手放すのは、神への裏切り行為だ」という宗教的確信と、占領地でのユダヤ人人口を増加させ既成事実を積み重ねて領土返還を困難にする狙いがあった。

シャロン氏は1982年9月にレバノンの首都ベイルートで起きたパレスチナ難民虐殺事件当時国防相職にあり、アラブ諸国から虐殺者としてのレッテルを張られている人物である。同氏の首相就任に対しアラブ諸国は強く反発していた。

イスラム原理主義組織のハマスやイスラム聖戦はここぞとばかりにイスラエルに対する対抗姿勢を強めた。

2001年6月ブッシュ米政権が仲介してイスラエル政府とパレスチナ自治政府は停戦に合意した。しかしパレスチナ側のテロは完全にやまず、イスラエルはパレスチナ武装組織の活動家に対する暗殺作戦を実行している。

アラファト議長はイスラエルとの交渉を通じたパレスチナ独立をあきらめ、パレスチナ民衆とイスラエル軍の騒乱を利用し国際社会の介入を招き、その調停の下で独立を勝ち取ろうとしているのではないかという意見もある。一方のシャロン首相も交渉を通じた平和の実現をうたいながらも、パレスチナ騒乱激化にともない防衛のためと称してパレスチナの自治地区への軍事行動で威圧を続けている。

ドイツのベルリンでアラファト議長とペレス外相の会談がもたれる予定である。しかしイスラエルとパレスチナ双方がお互いに対する憎悪と不信を払拭し、共存共栄という思想を芽生えさせない限り根本的な問題解決は遠いと思われる。

エルサレムは2000年前イエス キリストが汝の敵を愛せよと教えながら、十字架上でそれを実践した地である。イスラエルとパレスチナの双方で報復の連鎖を断ち切る行動が必要だと思う。

(引用した資料)

窒息寸前のパレスチナ和平

戦争を準備するイスラエル

 

○米国同時多発テロ後

パレスチナ人のイスラエルに対する抵抗運動をインティファーダと言う。これはアラビア語で「蜂起」を意味する。パレスチナ自治政府はインティファーダ により国際的な地位を築いてきた。しかし2000年9月末以来のインティファーダ(アル アクサ インティファーダ)は泥沼の様相を呈している。2001年の一 年で1000人以上の死者が出ている。

米国同時多発テロ後、米国は対テロ包囲網を世界に呼びかけ、多くの国がそれに応えた。多くの国々でテロに対する敵視が表面化し、パレスチナ自治政府のアラファト議長もテロへの対策を余儀なくされた。

10月にパレスチナ解放人民戦線が極右政党党首のレハバム ゼエビ観光相を暗殺した際、イスラエルとパレスチナは一触触発の状態になった。米国をはじめ国際社会がイスラエルに自制を求めたため事無きを得た。

12月にはエルサレム中心街での爆破テロとハイファでのバスへの自爆テロがあり、合計で20名以上の死者が出た。国際社会は次第にパレスチナ自治政府のテロ対策に対する疑問の念を強め、イスラエルに対する同情を示すようになった。このような中、アラファト議長はイスラエルに対するテロ攻撃の停止を呼びかけた。またテロ活動を中心的に行っているハマスとイスラム聖戦の関連施設を閉鎖したりもした。

その後アラファト議長の支持基盤であるファタハとハマスならびにイスラム聖戦の間でテロ停止の合意が結ばれた。しかしイスラエルのアラファト議長への不信感は変わらず、現在イスラエルはアラファト議長との関係を絶っている。

イスラエルにとっての問題はアラファ ト議長に代わる交渉相手がいないことである。 イスラエルの中央銀行の発表によると、2000年秋からのパレスチナとの武力衝突で、イスラエル経済は130億シェケル(約3800億円)の損失を被ったそうである。最近はパレスチナに対する強行姿勢を示すイスラエルであるが、多くの市民にとってパレスチナとの衝突は望むものではないことは確かである。和平への道を模索する努力が続けられることを祈るのみである。