シリアとの和平

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過去ゴラン高原をめぐる和平の話し合いはいずれも不発に終わっている。というのはシリアのゴラン高原からのイスラエルの完全撤退という主張とイスラエルの安全保障措置が取られるべきであるとの主張が相容れなかったからである。かつてイツハク ラビン元イスラエル首相はシリアの要求していた1967年以前の国境線までのイスラエルの撤退に言及したことがある。今回バラクの顧問は、1996年2月に、シリアとの交渉が途絶えた所から再開するということを明らかにした。それは、シリアが今まで要求してきた中心の条項についてであるが、どこに新たな国境線を設けるのかはすんなりとは解決できない問題である。

1967年というのは第三次中東戦争が勃発した年である。それはPLO(パレスチナ解放機構)によるゲリラ攻撃に対するイスラエルの報復という形で始まった。イスラエルは周辺諸国を奇襲攻撃し、聖地エルサレムを含むヨルダン川西岸地帯、ガザ地区、シナイ半島全域さらにはシリア領ゴラン高原を占領したのである。

南レバノンからのイスラエル軍の撤退にも不可欠なシリアとの協約

ネタニヤフ政権末期の98年末、南レバノンでの激しいテロによる攻撃によってイスラエルの若い兵士が相次いで死傷する事件があった。それを期に南レバノンからのイスラエル軍の撤退が議論されるようになった。現バラク首相は99年の首相選挙の時に、南レバノンの“安全保障地帯”から、イスラエル軍を1年以内に撤退させることを誓約した。

しかしもし撤退するとしたら、まず最初にシリアと協定を結ぶ必要があるというのである。シリアは、レバノンに軍隊を駐屯させており、レバノンの多数の政治的党派の調停者の役割を担っているからである。南レバノン情勢はイスラエルとシリアの関係の指標となっているのである。

南レバノンに数キロ食い込んでいる帯状の安全保障地帯には、イスラエル軍が駐留しているが、その地帯は、事実上ゴラン高原を拡張したようなものであるとされている。周囲の風景はのどかで、美しく、シリアとレバノンの緩衝地帯は、こだかい山が繋がりオリーブの潅木が生え、西はゴラン高原、東はベッカー高原となっている。地中海側のレバノン山脈とシリア側のアンチ・レバノン山脈にはさまれ、リタニ川が流れる高原をベカー高原といい、古代より肥沃な穀倉地帯としてよくしられている。

和平交渉

2000年1月3日再開されたイスラエルとシリアの和平交渉は少なくとも一週間の日程で協議が続けられている。議題は、戦略的要衝のゴラン高原からのイスラエル軍撤退とそれに絡む安全保障措置、高原に隣接するガリラヤ湖の水資源問題などである。

3日の交渉団の晩さん会が交渉の日程での対立を理由に中止されたりと波乱含みであり、今回の交渉で合意達成に至るとの見方は少ないようである。しかしイスラエルとパレスチナの「最終地位交渉」も、2月の枠組み合意達成を目指して協議が進んでおり、2000年に入り、中東にも新しい時代の到来へと確実に動き出していることは事実である。イスラエル、シリア、レバノン、そしてパレスチナと共に共存共栄の路線へとさらに進んでいくことが望まれる。長期的視点に立てば、和平がこの地域にもたらすものは、和平によって失われるものよりもずっと大きいものになるはずである。

(引用した資料)

政情不安のレバノン−バールベックの位置