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ユダヤ教とキリスト教の救済観
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ユダヤ教の救済観

ユダヤ教では神の律法を守ることによって人間は神に受け入れられる

 律法−道徳律 倫理・道徳に関する普遍的なもの
     \礼典律 イスラエル民族にだけ与えられた特別な戒め 

ユダヤ教では律法を真の意味では全うしきれない人間の根底にある無力さや罪深さについては深い考察は行われていない

ユダヤ教のメシヤ像は個人的救い主というより、政治的解放者 

神と人間との関係は神と私という個人的関係よりも神とイスラエル民族としての関係がより強調

キリスト教の救済観

キリスト教においては人間が律法によって義とされる道はないとされている

律法の本質を神と人に対する愛とする (ロマ13/9,10)

律法は人間に罪の自覚を促すための鏡のようなもの (ロマ3/20)

「義人はいない、一人もいない」 (ロマ3/10)

全ての人間はアダムの後孫である限り等しく生まれながらの罪人である (ロマ5/12) 

罪人である全人類は皆等しく、罪の代価として”死”を払わなければならない (ロマ6/23)

律法は信仰によって義とされるために私達をキリストに連れていく養育係りとなった (ガラテヤ3/24)
イエスキリストの死は私達の身代わりの死であった