2023年12月20日水曜日

イエス キリストの足跡

イエス キリストの足跡

 ○エリコ


新約聖書によると、イエス キリストは洗礼ヨハネと別れた後、荒野で40日断食をし、悪魔によって試練を受けたとあります。エルサレムから死海に行く途中エリコという町があります。海抜マイナス350mのオアシスの町ですが、そこに誘惑の山(Mount of Temptations)というイエス キリストが悪魔の試練を受けたとされる場所があります。エリコはまたモーセの後継者ヨシュアを中心とするイスラエルの民が町の城壁の周りを7回回って掛け声をあげると、城壁が崩れたという話の舞台でもあります。そして、1994年にガザとともにパレスチナの完全自治地区となっているパレスチナの町です。

○ガリラヤ湖畔

イエスキリストは宣教の地としてガリラヤ湖畔を選び、3弟子のペテロ、ヨハネ、ヤコブを初めとする多くの信者を獲得します。

イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。そしてナザレを去り、ゼブルンとナフタリとの地方にある海辺の町カペナウムに行って住まわれた。(マタイ4:12-13)

ガリラヤ湖にセイント ピーター フィッシュ(St. Peter's fish)と呼ばれる魚がいます。クロスズメダイの一種でオスは口の中で稚魚を孵化させ、稚魚が再び口に還って来ないように口に石を加えるという習性があるそうです。新約聖書のイエス キリストがペトロに命じて湖に網をいれさせると口に銀貨をくわえた魚が獲れたという話にちなんで名づけられた魚です。ガリラヤ湖畔にはこの魚が用いられた名物料理があります。 

イエスはガリラヤ全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆるわずらいをおいやしになった。その評判はシリヤ全地にひろまり、---ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こうから、おびただしい群集がきてイエスに従った。
イエスはこの群集を見て、山に登り、---教えて言われた。(マタイ4:23-5/2)


ここで説かれたのが有名な山上の垂訓です。下の写真はガリラヤ湖が一望できる標高125mの山上の垂訓の丘の上に建つ山上の垂訓教会です。




下の写真は紀元数世紀まであったカペナウムのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)の遺跡です。その更に下にはイエスキリストが説教したとされるシナゴーグの土台石があると言われています。



イエスキリストのこの地での宣教ならびに癒しの活動の対象は主に貧しい者や弱者や一般社会から忌み嫌われるものたちでした。弟子たちが空腹であれば、安息日であっても穂を摘んで食べることを認め、安息日であっても人を癒すことをいといませんでした。このようなイエスキリストの活動は大いに民心をとらえるものでありましたが、ユダヤ教指導者など社会の上層階級にいる者たちの妬みをかうことになりました。そして最後にはそういった人々の手により十字架への道へと追いやられるようになったのでした。

イエスが2匹の魚と5つのパンを祝福して増やし、説教を聞きに集まっていた5000人あまりの聴衆を満腹にさせたという奇跡にちなみ建てられたパンの奇跡の教会もガリラヤ湖畔にあります。キリスト教の伝承で古くから奇跡ゆかりの場所とされています。会堂の中にはビザンチン時代のモザイクの床が残っています。

イエスは五つのパンと二匹の魚とを手にとり、天を仰いでそれを祝福してさき、弟子たちにわたして群集に配らせた。みんなのものは食べて満腹した。(ルカ 9:16-17)


○タボール山(変貌山)

イエス キリストが幼少期を過ごしたナザレの町から西へ数キロのところ、イスラエル北部の穀倉地帯イズレル平野の北端に、標高588メートルの山があります。それがタボール山です。

新約聖書によると、イエス キリストが3弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山(これがタボール山と言われている)に登ると、

イエスの顔が日のように輝き、衣は光のように白くなり、モーセとエリヤが現れた。
(マタイ17:1)
とあります。
イエスの姿が変貌したことから、別名を「変貌山」とも言われています。

現在、タボール山の頂上には、フランシスコ派の教会と、ギリシャ正教の教会が建てられおり、頂上一帯は国立公園として指定されています。





○バニアス自然公園

イスラエル、シリア、レバノンの3国が接する地、ゴラン高原にバニアス自然公園があります。イスラエルが占領しているこの地は現在シリアへの返還が検討されています。バニアスという名は、古代ギリシャ人が半人半獣の森の神「パン」を祭った神殿をここに建てたことに由来するそうです。




イエスは、フィリポ・カエサリア地方に行ったとき、弟子たちにお尋ねになった。『人々は、人の子(私)のことを何者だと言っているか』---シモン ペトロが答えて言った。『あなたは生ける神の子キリストです』(マタイ16章)

この地は信仰告白した使徒ペトロにキリストが天国の鍵を授けた場所として知られています。

現在のイスラエル北方で宣教を続けたイエス キリストは最後にエルサレムに向かい、十字架にかかることになります。

貧しい大工の家庭で成長した一人の青年イエス キリストが名もない布教者として立ちあがり、漁夫や取税人や遊女といった下層階級の人々を弟子とし、一見すると安息日を始めとするユダヤ人たち救いの基準である律法を無視するようなこともしました。そうしてイエス キリストはユダヤ人の指導者たちから今で言うカルト集団の教主のように見られるようになりました。マグダラのマリアがイエスの足を涙でぬらし、自分の髪でぬぐい、その足に接吻して、高価な香油を塗った行動は、淫行の女は石で打ち殺してもよいというほどのユダヤ人の厳格な倫理社会においてはイエス キリストの弟子の間でも理解できないものであったようです。

自らが人々の罪を背負って命を捨てることによって罪人をすら救うという、それまでのユダヤ教の世界では考えもつかなかった愛による救いというものをマグダラのマリアは理解していたのでしょうか。しかし、力でローマの勢力を追い出し、ユダヤ民族を解放し、ユダヤの王となるという当時のユダヤ人の救世主観を抱いていたイスカリオテのユダは、それが実現されないことに絶望し、イエス キリストを銀貨30枚と引きかえに祭司長らに引き渡しました。そしてイエス キリストは十字架にかけられることになりました。

○ダビデの町

旧市街の嘆きの壁近くの糞門を出た南側はダビデの町と呼ばれています。

シロアムの池
ダビデの町にイエス キリストが生まれつきの盲人を癒す奇跡を行ったとされるシロアムの池があります。

紀元前1000年頃、ダビデ王とその従者たちとは、エルサレムの先住民エブス人を彼らが水をくみ上げる縦穴から兵を送り、その地を攻略しましたた。(サムエル記下5:6-8)

旧市街の城壁の外のギホンの泉からシロアムの池まで続く地下水道には現在も水が流れています。

イエスが道を通っておられるとき、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生まれつきの盲人なのは、誰が罪を犯したためですか。本人ですか。それともその両親ですか。」イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、またその両親が犯したのでもない。ただ神の御業が彼の上に現れるためである。----」イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って言われた、「シロアムの池に行って洗いなさい。」そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。(ヨハネ9:1-7)

○オリーブ山 

エルサレムの旧市街の東、ライオン門を出ると、オリーブ山と呼ばれる小高い丘があります。エルサレム旧市街を見渡すことができます。

主の祈りの教会
主の祈りの教会オリーブ山を登ったところにイエス キリストが弟子たちに祈りを教えたとされる「主の祈りの教会」があります。ローマ皇帝コンスタンチヌスの母ヘレナが建てさせたと言われます。教会内には以下の祈りを世界の各言語で書いた石碑が並んでいます。

だからあなたがたはこう祈りなさい、
天にいます我らの父よ、御名があがめられますように。
御国が来ますように。
御心が天に行なわれる通り、地にも行なわれますように。
私たちの日ごとの食物を今日もお与え下さい。
私たちに負債のある者を許しましたように、私たちの負債をもお許し下さい。
私たちを試みに会わせないで、悪しき者からお救い下さい。
(マタイ6:9-13)


主の泣かれた教会主の泣かれた教会
オリーブ山の斜面、旧市街が見渡せる場所に「主の泣かれた教会」があります。これはイエス キリストがオリーブ山の山頂に立ち、当時のユダヤ教指導者の無理解を嘆き、エルサレムの将来を案じて、エルサレムのために泣いたという新約聖書の記述に基づいて1955年に建てられたものです。

ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、お前に遣わされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど雌鳥が翼の下にその雛を集めるように、私はお前の子らを幾度集めようとしたであろう。それだのにお前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられてしまう。(マタイ23:37-38)

ゲッセマネの園ゲッセマネの園
オリーブ山の斜面に広がるオリーブ園が人々の不信仰によって追い詰められたイエス キリストが人類の運命をかけて血の汗を流し、神の前に祈りを捧げたと言われるゲッセマネの園とされています。

「私は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、私と一緒に目をさましていなさい。」そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたら、どうかこの杯を私から過ぎ去らせて下さい。しかし私の思いのままにではなく、御心のままになさって下さい。」(マタイ26:38-39)

そしてイエスキリストが壮絶な祈りを捧げる中、弟子たちが眠りこけ、弟子の一人のイスカリオテのユダの裏切りによってイエス キリストが捕らえられたとされる「ゲッセマネの岩屋」があります。

それから弟子たちの所に帰って来て、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡せられるのだ。立て、さあ行こう。見よ、私を裏切る者が近づいてきた。」そしてイエスがまだ話をしておられるうちに、そこに十二弟子の一人のユダが来た。また祭司長、民の長老たちから送られた大勢の群衆も、剣と棒とを持って彼について来た。----弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。
(マタイ26:45-56)


○シオンの丘

旧市街の南西にあるシオン門を出たところにシオンの丘が広がります。シオンの丘は古来からイスラエルやユダヤ民族を象徴し、19世紀末頃から精力的にイスラエル建国のために展開された運動であるシオンニズムはこのシオンの丘に因んで名づけられました。

最後の晩餐の部屋最後の晩餐の部屋
イエス キリストがユダヤ教の指導者たちによって捕らえられる前夜、イスカリオテのユダを含む12弟子とともに食事をしたのがレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画で有名な「最後の晩餐」です。最後の晩餐が行われたとされる場所がシオンの丘にあります。

この最後の晩餐はユダヤ教三大祭りの一つ、エジプトで奴隷だったイスラエルの民が神によってモーセに率いられ、エジプトから救いだされたことを祝うペサハ(過越の祭)の食事であったようです。ペサハに食べるマツオットというクラッカーのようなものがありますが、これがキリスト教会の聖餐式という儀式に使用されるクラッカーのようなものの由来になったようです。

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これは私の体である。」また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「皆、この杯から飲め。これは罪の許しを得させるようにと、多くの人のために流す私の契約の血である。」(マタイ26:26-28)

鶏鳴教会
聖書の記述によるとゲッセマネの園で捕らえられたイエス キリストは大祭司カヤパのもとに連れて来られたとされます。シオンの丘の斜面にその大祭司カヤパ邸の跡に建てられた鶏鳴教会があります。鶏鳴教会の名前はイエス キリストの予言のとおり、弟子のペテロが三度イエスを知らないと嘘をついた後に鶏が鳴いたという聖書の話に由来します。鶏鳴教会内にある石段は当時イエスキリストが祭司カヤパのもとに連れて来られる際に通ったとされています。

イエスを捕まえた人たちは、大祭司カヤパの所にイエスを連れて行った。(マタイ26/57)

ペテロは遠くからイエスについて、大祭司の中庭まで行き、そのなりゆきを見届けるために、中に入って下役どもと一緒に座っていた。

すると一人の女中が彼の所に来て、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった。」と言った。するとペテロは皆の前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか分からない。」そう言って入口の方に出て行くと、他の女中が彼を見て、そこにいる人々に向かって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった。」と言った。そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない。」と誓って言った。暫くしてそこに立っていた人々が近寄って来て、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉使いであなたのことが分かる。」彼は「その人のことは何も知らない。」と言って、激しく誓い始めた。するとすぐ鶏が鳴いた。ペテロは「鶏が鳴く前に三度私を知らないと言うであろう。」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。
(マタイ26:58-75)


鶏鳴教会の地下に大祭司カヤパ邸の地下牢の跡があり、そこにイエス キリストが十字架に架けられる前に留置されたとされています。現在その壁に人影のようなしみが浮かび上っていますが、それはイエス キリストをあらわしていると言われています。

ヴィアドロローサ十字架への道
紀元28・29年頃、イエス キリストはローマのユダヤ提督であるポンテオ ピラトにより、十字架刑を言い渡されます。聖書によるとピラトはイエス キリストを死刑にする意図はなかったようですが、ユダヤの民衆の強い要求により、極刑に処したとされています。ユダヤの民衆はイエス キリストの血の代償が後孫に及んでも構わないと言ったとされていますが、これが後にイエス キリスト殺しというユダヤ人迫害の材料の一つになってしまいました。

エルサレムの旧市街の東、ライオン門から旧市街の中心部へと続く道はイエス キリストが茨の刺のある冠を被され、重い十字架を担ぎ、ゴルゴダの丘へと向かったといわれる道で、ヴィアドロローサ(悲しみの道)と言われています。

ヴィアドロローサには14のポイントがあり、ここを巡礼するキリスト教徒たちは一つ一つの場所でイエス キリストの十字架の歩みを偲ぶようです。ちなみに当時の道は現在の地下に埋もれているそうです。

死刑の判決を受けたイエスキリストは茨の冠をかぶせられ、ローマ軍の兵士により鞭で打たれ、十字架を担がされます。ゴルゴダの丘への途中、大勢の民衆と悲しみ嘆いてやまない女性の群れとがイエスに従って行ったようです。イエスをいたわり、イエスの汗と血をハンカチでぬぐったヴェロニカという女性がいたとされ、そのハンカチにイエス キリストの顔が浮かびあがったと言われています。イエスは女性の集団に向かって、
「エルサレムの娘たちよ、私のために泣くな。むしろあなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。」(ルカ23/26-28)と言ったとされています。

イエス キリストはエルサレムの神殿の崩壊を予言し、エルサレムの行くすえを憂えたとされます。現在中東和平実現への障害としてその帰属問題が取り上げられているエルサレム旧市街の神殿の丘はイエス キリスト当時ユダヤの神殿があったとされる場所です。イエス キリストが憂えたとおり、神殿は紀元70年ローマ帝国により破壊され、ユダヤ人たちの世界各地への流浪が始まったのです。

イエス キリストが処せられた十字架刑は、古代ペルシア人、カルタゴ人、ローマ人の間で行われていた死刑の形式で、極悪非道な罪を犯した者や奴隷に対する極刑でした。処刑者の頭上にはその名前と罪状を記した板がはりつけられたそうで、イエス キリストの場合、「INRI」と記された銘板が掲げられました。ラテン語の “Iesusu Nazarenus Rex Iudaerum”の略で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」の意味だそうです。

聖墳墓教会

イエス キリストが教えた内容ならびにイエス キリストを信奉する集団は当時のユダヤ教指導者の権威基盤とそれまでの伝統に挑戦するものとなり、結局はユダヤ教から受け入れられずに終わってしまいました。

ユダヤ教徒としてのアイデンティティーと義は律法を遵守することによって確立されていました。それゆえ熱心なユダヤ教徒は一生懸命頑張って律法を守っていました。しかし、その場合おうおうにして自分の立っている立場の優位性をそうでない人と比べることによって自己を誇りとしてしまうことがありました。

当時、神殿には大きな献金箱がおいてありました。イエス キリストは多くの人々が献金して行くのをみる中で、ある一人のやもめがレプタ二枚を入れるのを見ました。一日が終わった後弟子達に「今日多くのひとが献金したが、一番多く献金したのはあの寡婦である」と教えました。

多額の献金をした者は、自分よりも小額の献金をしている者との比較で自己の優越性を感じていました。そのような者たちに対してイエス キリストは白く塗られている墓であり、死人の汚物や骨で一杯だとその偽善性を批判しました。

またイエス キリストは神に対し、我が父よと呼びかけていますが、これも当時のユダヤ教にとっては画期的なものでした。ユダヤ教では神は超越した創造主としての存在です。それに対しイエス キリストは神との親子の人格的交流を説いているのです。

イエス キリストはユダヤ教には受け入れられずに終わってしまいますが、十字架上で自らを殺害しようとする敵をも愛する崇高な愛を実践したことで、十字架に立ち会った者をして、神をあがめ、「ほんとうにこの人は正しい人であった。」と言わしめるに至り、新しい歴史の流れが始まるようになりました。

聖書によるとイエス キリストは復活し、エルサレムのオリーブ山頂から昇天したとされます。それゆえイエス キリストの再臨はオリーブ山でなされると信じるキリスト教徒もいます。

昇天教会オリーブ山に建つ昇天教会内には復活したイエスキリストがオリーブ山頂から昇天した際に付いたとされる足跡があります。

イエスは彼らをベタニヤの近くまで連れて行き、手を挙げて彼らを祝福された。祝福しておられるうちに、彼らを離れて、天にあげられた。(ルカ24:50-51)

2023年12月19日火曜日

イエス キリスト当時のユダヤ教と洗礼ヨハネ

イエス キリスト当時のユダヤ教

今でこそメシヤとして世界中のキリスト教徒によって信奉されているイエス キリストですが、その当時はどうであったのでしょうか。聖書の記述によると、ユダヤ教の指導層からは煙たがられる存在であったようです。特に次に挙げるパリサイ派から迫害を受けたようです。

イエスの時代、ユダヤ教はいくつかのグループに分かれていました。主なものはサドカイ派、パリサイ派、エッセネ派の3つでした。

1)サドカイ派

モーセを始めとする過去の預言者たちの残した教典のみを重視しました。学問として教えを捕らえていた学者たちが主でした。

2)パリサイ派

タルムードを重視し、ラビの言葉を重視しました。タルムードはユダヤ人のバビロン捕囚と同時代に生まれたユダヤ教典のうちの一つであり、口伝律法の集成です。タルムードは他民族によって迫害され続けた反動でユダヤ人選民思想的な側面が強調されています。

イエスの時代、ユダヤの地はローマの支配下にありました。ローマ人総督の下、王と議会が存在しました。この議会を「サンヘドリン」と呼びました。王もこの会議の決定には逆らえませんでした。パリサイ派はサンヘドリンに大きな影響力を持っていました。

3)エッセネ派

律法を特殊共同体的環境の中で遵守しようとしたグループです。その中核部分がクムランに隠遁したクムラン教団であったようです。クムラン教団とは紀元前二世紀中頃成立した、祭司的要素を基とした特殊共同体で、死海のほとりのクムランの隠遁所で律法を徹底的に守りながら、近い終末に備えようとしていたとされます。エッセネ派の倫理規範は共同体倫理と愛に基づいていました。イエス キリストのようにしばしば譬えや比喩を用いて語ったようです。星を読み、未来を予測し、治療を行ったともされます。また紀元前250年にインド皇帝アショカ王が派遣した宣教師によって伝えられた仏教の思想を採用したと言われています。イエス キリストの親戚洗礼ヨハネはエッセネ派に属していたようです。

ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。ヨハネはらくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。(マルコ1/5-6)

このような川で洗礼を授けたり、修道生活を送るというのはインドの影響を受けていた証拠と考えられます。

洗礼ヨハネ

新約聖書によると、イエス キリストは本格的な活動を始める前に洗礼ヨハネを訪ね、ヨルダン川で洗礼を受けたとあります。洗礼ヨハネは、かねてより自分は水で洗礼を授けるが、自分のあとから来る人は、火と聖霊とによって洗礼を授ける方であり、自分は彼の靴を脱がせてあげる値打ちもないと証言していました。

わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。(マタイ3:11)

そしてイエス キリストが訪ねて来たとき、神の予言どおり、御霊がイエス キリストに下ってとどまるのを見て、神の子であるとあかしをした。(ヨハネ1:33-34)

洗礼ヨハネは、当時の名門の出である祭司ザカリヤの子として生まれました。

ザカリヤが聖所で香を焚いていたとき、その妻が男の子を懐胎するだろうという天使の言葉を信じなかったために唖となったが、ヨハネが出生するや否や口がきけるようになった。この奇跡によって、ユダヤの山野の隅々に至るまで人々を非常に驚かせた。(ルカ1:8-66)

また荒野での修道生活と民衆に罪の悔い改めをさせ、洗礼を授けるなどの活動により、救世主を待ち望む民衆は洗礼ヨハネがメシヤではないかと考えたほどでした。(ルカ3/15)このように洗礼ヨハネは当時の全ユダヤ人から一目置かれる存在でした。

洗礼ヨハネの誕生前にザカリヤに現れた天使は洗礼ヨハネの将来を以下のように予言していました。

エリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう。(ルカ1/17)

エリヤというのはソロモン王朝の後、王国が南北に分裂した時代の代表的な預言者で、メシヤの到来に先がけて再臨すると信じられていました。

この洗礼ヨハネがイエス キリストと共に宣教活動をしていれば、イエス キリストの生涯はまた違ったものになっていたかもしれません。しかし実際はイエス キリストはユダヤ教指導者から迫害を受け、最後には十字架にかけられ、ユダヤ教とイエス キリストを信じる集団が袂を分かち、最終的にユダヤ教とキリスト教という別の宗教に別れていきました。

当時のユダヤ人たちの願いはもちろんメシヤの降臨でした。しかし、同時に聖書の預言にあるメシヤの前兆とされていたエリヤの到来をも待ち望んでいました。そのような状況下でイエス キリストがメシヤであるというような集団が現れたため、特にユダヤ教指導者に混乱をもたらしたようです。洗礼ヨハネがエリヤの生まれ変わりだとなれば、話はうまくいったのかもしれませんが、聖書の記録によると、洗礼ヨハネ自身が自分はエリヤでないと否認していることから混乱は収まるどころか、さらに大きくなっていったようです。

さてこの洗礼ヨハネの最期は「サロメ」というオスカー ワイルドの戯曲で有名です。この作品はオペラとしても上演されたことがあります。

当時のユダヤのヘロデ王は腹違いの兄弟の妻ヘロデヤと愛人関係になりました。洗礼ヨハネは「兄弟の妻をめとるべきではない。」と非難したことで、投獄されました。ある時ヘロデヤの娘のサロメがヘロデ王の前で見事な踊りを披露しました。ヘロデ王はその褒美に望みのものは何でもつかわすと言ったところ、サロメが望んだものは洗礼ヨハネの首でした。
マルコによる福音書6章

イエス キリストをして女の生んだ者の中で洗礼ヨハネほど大きな人物はいなかったとまで言わしめた人物の最後にしてはなんともあっけないものでした。以後イエス キリストは当時のユダヤ社会の下層階級や弱者を中心にして支持され、反対にユダヤ教指導者など上流階級からは反対されるようになっていきました。

イエスキリスト誕生

イエスキリスト誕生

今日世界中に10億を超える信者を抱えるキリスト教の信仰の中心であるイエスキリストは今から2000年前イスラエルのベツレヘムで誕生したとされます。イスラエル民族のメシヤの到来への期待を背にした誕生でした。

受胎告知教会現在のナザレの地で、ある時聖母マリヤは天使長ガブリエルからお告げを受けたとされます。

「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう。」---「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」
(ルカ1:31-38)

これを記念して、326年コンスタンチヌス大帝の母ヘレナの頼みにより、マリアの家の跡とされる場所に築かれた教会が中東最大のキリスト教会である受胎告知教会です。受胎告知教会には世界各国のイエスキリストを抱いたマリヤの肖像画があります。日本のものもあり、面白いことにマリヤは着物を着ており、イエスキリストは牛和歌丸のような雰囲気をもっています。



その後マリヤは親戚のエリサベツに会いに出かけます。

立って大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、ザカリヤの家に入ってエリサベツに挨拶した。---マリヤはエリサベツのところに三ヶ月ほど滞在してから、家に帰った。
(ルカ1:39-56)


現在のエルサレム郊外のエインカレムという地に昔ザカリヤの別荘があったとされ、マリアがエリサベツを訪ねたことを記念して建てられたマリア訪問の教会があります。マリヤがエリサベツを訪問した際エリサベツは妊娠6ヶ月であり、胎内の子がマリヤの訪問とともにおどったとされています。

三ヶ月後、マリアは婚約者ヨセフのいるナザレに戻りました。その時マリアは身重になっていました。ヨセフはどれほどびっくりしたでしょうか。しかし、天使が夢に現れてマリアのお腹の子は聖霊によって身ごもったものだと諭されます。科学者の間では卵子に刺激を与えると細胞分裂が始まり、妊娠する可能性もあるなど様々な研究がされたというような話もあります。そのあたりはあまり深く考えるべきではないのかもしれません。

現在日本でも何年かに一度人口調査(国勢調査)が行われていますが、イエス キリスト誕生の時にも大規模な人口調査が行われたようです。イエスの母マリアとヨセフは登録をするためにナザレからはるばるベツレヘムまで旅したようです。ちょうどベツレヘムに来ているときにイエスが誕生されたのです。イエス誕生が西暦の始まりというのが通説ですが、ちなみに当時人口調査を行なったのはローマ皇帝による紀元前7年とシリア提督の行なった紀元前6年であったと言われています。

エルサレムの南の端れ、ベツレヘムにある聖誕教会の中に小さくて暗い岩屋があります。そこでイエスキリストが生まれたとされています。イエスが誕生したときユダヤの地を統治していたのがヘロデ王でした。イエス誕生のその時、ヘロデ王のもとに東から来た博士たちが来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。」と尋ねたとされ、それを聞いたヘロデ王は自分の地位を脅かすものとして恐れ惑い、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺すよう命じました。


それに対し天使が夢でヨセフに現われてエジプトへ逃げるように警告したとされています。そしてヨセフ一家はヘロデ王が死ぬまでエジプトに滞在し、ヘロデ王の死後イスラエルの地に戻ったそうです。モーセの誕生と出エジプトの話のパターンにどことなく似ています。ヘロデ王が亡くなった年は紀元前4年であり、以上のことからキリストが生まれたの本当の年は紀元前7~4年と考えられています。

ところでここで出てくるヘロデ王はソロモンに匹敵する建築魔と言われ、壮麗な建築物を多く建設しており、それが今イスラエルの観光名所となっています。イスラエルの商業と産業の中心テルアビブから50kmほど北上したところに位置するかつてローマの総督府が置かれた町カイザリヤには円形劇場を始めローマ風の遺跡が数多くあります。70年のユダヤ戦争最後のユダヤ人が立てこもり自害して果てた死海沿岸のマサダの遺跡もヘロデ王が建てた宮殿跡です。

イエス誕生前のイスラエル

イエス誕生前のイスラエル

紀元前597年に新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを始めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行されるバビロン捕囚が起こりました。

ユダの王エホヤキンはその母、その家来、そのつかさたち、および侍従たちと共に出て、バビロンの王に降服したので、バビロンの王は彼を捕虜とした。これはネブカデネザルの治世の第八年であった。
彼はまた主の宮のもろもろの宝物および王の家の宝物をことごとく持ち出し、イスラエルの王ソロモンが造って主の神殿に置いたもろもろの金の器を切りこわした。主が言われたとおりである。
彼はまたエルサレムのすべての市民、およびすべてのつかさとすべての勇士、ならびにすべての木工と鍛冶一万人を捕えて行った。残った者は国の民の貧しい者のみであった。さらに彼はエホヤキンをバビロンに捕えて行き、また王の母、王の妻たち、および侍従と国のうちのおもな人々をも、エルサレムからバビロンへ捕えて行った。
またバビロンの王はすべて勇敢な者七千人、木工と鍛冶一千人ならびに強くて良く戦う者をみな捕えてバビロンへ連れて行った。
(列王記下24:12-16)

紀元前547年、ペルシャ帝国のクロス王はバビロニア帝国の北側を支配下に置き、自らを「解放者」と宣伝し、諸国民のバビロニア帝国への不満をうまく吸収し、紀元前539年にバビロンに入城し、紀元前538年、その言葉どおり諸国民に自国への帰還と宗教復興を布告しました。

これはエレミヤの口によって伝えられた主の言葉の成就するためであった。こうして国はついにその安息をうけた。すなわちこれはその荒れている間、安息して、ついに七十年が満ちた。
ペルシャ王クロスの元年に当り、主はエレミヤの口によって伝えた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの霊を感動されたので、王はあまねく国中にふれ示し、またそれを書き示して言った、
「ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」。
(歴代誌下36:22-23)

バビロニア捕囚中のイスラエル民族の中には、ダビデ王家はもはや神に見捨てられた人々と考える人々と、このダビデ王家を中心に国は再建されると考える人々がいましたが、バビロンの捕虜生活から帰還してきたイスラエル民族は、破壊された神殿を再建し(紀元前515年、現在第二神殿と呼ばれている新しい神殿が完成)、マラキ預言者の指導によって、邪神を崇拝してきた過去の罪を悔い改めながら、律法を研究し、信仰の刷新運動を起こしました。マラキは、律法が厳格に守られず、特に犠牲の祭儀がないがしろにされ、異教徒との結婚が行われ、結婚の契約が破られ、十分の一税が納められていないことを批判しました。またイスラエル民族のメシヤ待望の期待に拍車をかけるように、メシヤの降臨に先立ち、預言者エリヤが遣わされることを説きました。

見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。(マラキ4:5)

ちなみにマラキ預言者というのは南北に王朝が分裂していた時代に登場した代表的預言者です。

メシヤという言葉は、ヘブライ語で油を注がれた人を意味し、特に王を意味する言葉です。メシヤ到来により他国の属国となるなど苦難の道を行くイスラエル民族は解放され、イスラエルが復興すると信じられていました。

2000年近く流浪の民として世界各地に散らばり、多くの迫害を受けつつも、自らの伝統を守り続け、異様なまでの執念でイスラエル建国を果たしたユダヤ人の強さはこのメシヤ思想に由来するところが多いのではないでしょうか。

イスラエルでイエスキリスト誕生前に急速にメシヤ到来に対する期待が高まりましたが、その一方イスラエル以外の世界はどの様になっていたでしょうか。その時代に、インドでは釈迦牟尼(前565~485)によって仏教が起こっていました。ギリシャでは、プラトンやソクラテス(前470~399)などの哲学者が現れ、ギリシャ文化が花開いていました。中国においては、孔子(前552~497)が現れ、儒教が起こっていました。地中海には強力なローマ帝国が勃興し、広大な政治的版図と、四方八方に発達した交通の便、そして、ギリシャ語を中心として形成された広範なる文化的版図ができあがっていました。この様にこの時代は特殊な時代であったとみることができます。


世界の宗教の結婚観

世界の宗教の結婚観

愛の定義

  • 主体が対象に授ける情的な力 
  • 分立された二性の対象実体が再び合性一体化せんとする力

愛における力とは何か?

愛における力とは主体と対象が互いに相手に与えようとする情的な力です。情的な力とは相手に温情を施して相手を喜ばせることによって、自身も喜ぼうとする心の力のことです。ゆえに肉体的だけではなく精神的にも大人になり、相手を思いやるという愛が心の中に宿るようになって夫婦となれば、性はお互いの愛を深め子孫を繁栄させるための祝福となります。しかし時期が来ていないのに、快楽という結果だけを求めると、それを得られないばかりか、苦痛と苦い後悔を味あわなければならなくなってしまいます。人間の心は肉体の刺激によって得られる喜びよりも真善美愛といった精神的要素によって得られる喜びがずっと大きいものです。

男女の結合は単純な生物的結合ではなく、愛による人格的結合として、古来から多くの宗教では男女の結合を神聖視し、一定の宗教的儀式に従って結婚行事を行ってきました。

キリスト教

「あなた方は悪魔から出てきた者である。」(ヨハネ8/44)
「家の者が、その人の敵となるであろう。」(マタイ10/36)
「私のように一人でおればそれがいちばん良い。」(コリント17/8)

上記のような聖書の記述を見ると、イエス キリストや使徒パウロが世俗的な結婚をよしとしていないことが分かります。またキリスト教には陽陰といった概念規定がないのでともすれば一切を善悪概念で説明しようとする傾向があります。より精神的なものが善で、より物質的なものが悪であるというようにとらえやすいです。肉体や物質を神から遠く離れた汚れたものとみなし、男女の性を意識した愛は愛の中でもランクが低いとみなされやすいです。カトリックの神父や修道女は生涯独身を通さなければならず、結婚すると聖職を追われるのもその一例です。

一方でキリスト教の結婚儀式は、婚姻による男女の結びつきは神により合わせられたものとして行われるます。

米国では1960年代に男女の愛と性をタブー視するピューリタン的道徳に挑戦するかたちでカウンターカルチャーとしての性革命が起こり、婚前交渉、婚外交渉が一般化し、同性愛も公然と自己主張を始めました。一部のキリスト教会では同性愛者の聖職者も現れるなどして、伝統的な道徳観念は変化しつつあります。

 

ユダヤ教

ユダヤ教では、結婚を神聖なものとしています。結婚誓約式のことをヘブライ語でキドゥシン(Kiddushin)といいますが、神聖を意味するアラム語カドシュ(Kaddish)に由来します。

伝統的にユダヤ教の結婚式はケトゥバと呼ばれる結婚誓約書にサインすることから始まります。 サインの後新郎は新婦のもとに行き、新婦のベールをとって、本当の新婦かどうか確認する儀式をします。これは旧約聖書のヤコブが本当に結婚したかったラケルを装ってベールで顔を隠してやって来たレアと一夜を共にして結婚しなければならなくなった話から来るものです。

結婚は聖なる契約であり、結婚の解消は神聖さを汚す行為と見なされます。妻の不義による離婚のような場合を除き、離婚する場合には、妻に対してかなり多くの補償金を支払わなければなりません。


仏教

仏教は一切衆生は皆仏性を備えており、男女は互いに愛して、結婚し、夫の道理、妻の道理を尽くしながら家庭を形成することを教えています。しかし一方では異性に対する愛を渇愛や愛欲として、物欲と共に捨てなければならないと教えてきました。 

原始仏教では人間は全ての愛着と憎悪を断ち切ることによってはじめて、一切の束縛から解放され、永遠の平安、完全な平和を得ることができると考えました。原始仏教は人間の欲望に対して否定的であり、倫理の面では禁欲的な立場を貫いています。

真言密教では森羅万象をを金剛界と胎蔵界の二つに分け、男女両性に配している。理知の合一と男女の結合とを同一と見、交接を即身成仏の秘事としました。男女の性行為をも含め種々の外界の影を取り去るならば、欲望は清浄なものであると説きました。


儒教

男女は格位において差があるが、愛においては両者は平等であると教えます。しかし実際の家庭生活において、権利は男だけに与えられており、女には従順と義務だけが要求されていることが多くありました。

愛が冷え、夫婦関係が破綻しても、子供のために家庭の枠組みだけは守るという儒教型家庭は、欧米の夫婦中心の家庭(夫婦の愛が冷めると、子供におかまいなくさっさと離婚する)に比べると利点をもっていました。何故なら夫婦の仲が悪くても離婚しないほうが子供にとってはよいことが明らかになってきているからです。儒教型の子供中心の家庭生活を守ってきたのはもっぱら女性でした。儒教型の伝統的家庭では、女性は妻として夫に、母として子供に仕えてきました。しかしその女性達が一方的な忍耐と奉仕を拒絶するようになり、儒教の結婚と家庭の伝統は崩れつつあります。


 近代以後の女性解放運動

宗教が教理上では女性を重視しながらも、現実的には差別待遇が長い間継続してきたために、それに対する女性達の積もり積もった不満が表面化することによって現れました。多くの国で女性解放運動の要求が法律に反映されるようになりました。自由恋愛と恋愛結婚があらゆる形の愛を受け入れる社会運動から出てきました。この運動の当初の目的は、結婚、避妊、不倫といった性的・恋愛的な問題から国家を切り離すことでした。そのような問題は当事者たちの問題であり、他の誰の問題でもないとしたのです。この運動は19世紀ごろに始まり、60年代にはヒッピーたちによって推進されました。しかし家庭崩壊等の別な問題が起きるようになりました。 

 

世界平和家庭連合

男と女はそれぞれ陽と陰として、創造主の中では心情の力を中心として合性一体をなしていました。その陽性と陰性が創造と共に男性と女性に分立されたのであり、従って心情によって、一体をなしていた本来の姿に戻ろうとする衝動が生じるのです。

本然の世界では愛の秩序が厳格に守られるようになっています。家庭において祖父と祖母、父と母、息子とその嫁等、各代の夫婦の間にだけ異性の愛(すなわち性行為)が成立します。それ以外は父母の愛、子女の愛、兄弟姉妹の愛があるだけです。また不倫の愛も絶対にありえません。この家庭の愛の秩序を破壊したのがサタンです。サタンはアダムの配偶者となるはずのエバを被原理的な性的愛で誘惑して堕落させ、天道の秩序を破壊したのです。

全ての被造物は神の個性真理体であり、従って全てが神聖であり、そこに汚らわしいものは何もないのです。とりわけ人間は神の完全なる似姿であり、それ故に人間は被造物の中で最も高貴で神聖です。従って人体の構成部分はいかなるものでも高貴なものです。人体の器官の機能は神の創造目的を実現させる目的をもっています。その中でも性器官は次世代の生命を創造する器官であり、神が創造した最も神聖な器官です。

愛の完成を結び間違い、結婚を誤ったので、神を中心として正していくべきなのです。

キリスト教(Christianity)

キリスト教(Christianity)

キリスト教の前身のユダヤ教は神からあたえられた戒め、戒律、掟、聖書でいえば十戒、仏教でいえば五戒、そういう戒めを守り、その守った度合いに応じて義とされるということで、人間の自力が強調されています。すなわち人間の徹底的な自力本願の宗教です。それに対し、キリスト教はイエス キリストの十字架というかたちでもって罪の赦しが与えられるわけです。信仰生活はただ一方的に神の愛と恵みと恩寵によって成立するのです。これがキリスト教、特にプロテスタント神学の立場です。そういう点において、キリスト教は徹底した他力本願の宗教であると言えます。

ユダヤ人たちは神から要求された律法の箇条というものを何とか全うしようとしました。律法を遵守している人はおうおうにして律法を行っていない人と比較して、優越感にひたるという過ちに陥ることがあります。イエス キリストはそのような人たちを痛烈に批判しました。律法を遵守するという行為の動機が自分が救われたいとか、自分が優越感を感じたいということにあることを痛烈に批判したのです。

キリスト教は人間が救われるため何か条件を立てることの必要のない宗教です。何故かというとキリスト教によると天国にいく条件というのは神側から一方的なプレゼントとして与えられるわけです。人間が何かの条件を立てたので、その見返りとして神から何か恵みをもらえるということではないのです。善行は救われるためにするのではなくて、救われたから、赦されたから、愛されたからというのがその動機です。何か打算的な、それをする事によって何か見返りを期待したり、そうするところに結局は善を指向しながらもエゴイズムがあるとイエス キリストは指摘したのです。

○罪に関する新約聖書の教え

マタイ、マルコ、ルカ、使徒行伝:罪はある特定の行為というよりも悪なる諸行為の根元
ヨハネ:罪とは人間を神から引き離して、完全に神から疎外された状態に陥らせる力

○罪に関する代表的なキリスト者の思想

●パウロ

罪の力は人間の肉体を通して働き、情欲を引き起こし、数多くの不法な行為として現れます。罪の究極的な根源は肉体の中にあります。

パウロはシリシアの首都タラスでユダヤ教の家庭の子として生まれました。彼は霊的にイエスと出会う前までは律法に厳格なパリサイ人でした。彼の手紙には心と体の葛藤がしばしば描かれています。ロマ書七章はその例です。心では神の律法を喜んでいるが体は罪の律法に仕えていると嘆いています。誰がこの罪の体から私を救ってくれるのか。この葛藤は彼が律法に忠実あろうとすればするほど強く感じていたに違いありません。律法を守ることでは心の安息を感じることができず、かえって葛藤・恐れ・不安がつきまとったのです。その不安を紛らわせるためにキリスト教徒を迫害していたものと考えられます。しかしステパノの神を賛美し、自らを迫害するものを許し、殉教していった姿に内心疑問を感じたでしょう。そのステパノの殉教が条件となってパウロは霊的にイエスと出会い、それによって今まで感じたことのない安息を感じることができました。

パウロの思想はマルキオン(Marcion)の二元論、グノーシス派(Gnosticism)、シリアの肉悪説(encratism)、エジプトの修道生活主義(monasticism)などへと派生していきました。

●アウグスチヌス

対立する二つのグループ、ペラギウス派及びマニ教徒の論争に影響を受けました。

ペラギウス派:神は人間を善なるものとして創造。我々の堕落は個人的な罪の故。人間性を腐敗させる原罪というものはなく、親から相続する罪もない。

マニ教徒:霊魂が敵対的な物質世界に監禁されており、我々の生活は常に肉欲によって堕落させられている。最善の男女とは完全な独身生活を実践する人々である。

アウグスチヌスは人間の罪性と共に創造主の善性の両方を認める一つの神学を作り出そうと試みました。人間の情欲と結婚の聖礼典とをどのように両立させることができるか。アダムとエバがひとたび、神に服従しなかったとき、彼らは自己の肉体を制御することができなくなりました。肉欲は罪からきたのです。情欲は悪魔の狡猾さと人間意志の同意の両方から起こりました。エバをだました者が、その女の中に情欲の原因を注入しました。これが彼女をして情欲の奴隷とならしめました。結婚は肉欲によって汚されています。また性的行為の罪深い側面のために、全ての子供が罪の中にはらまれ、アダムとエバの罪を相続することも事実です。しかし結婚は悪ではないのです。性的行為を通して生まれてくるが、子供は神の創造のみ業を現すものです。結婚の善が悪なる情欲の存在によって取り除かれたのではないというのです。

○サタンの実在

ドイツの神学者ヘルムート・ティーリケ(Helmut Thielicke)に見るサタン理解

ルターと同じくティーリケも歴史を神と神に反対する悪魔が、この世界の支配を目指して闘争している戦場であると説明します。サタンは意志と目的とその影響を感じさせる能力を持った一つの人格、意識を持った力として我々と出会います。我々は自分の中に罪を持っている故に我々を自分のものだと主張する権利を悪魔に与えてしまっているのです。サタンは匿名で働き、分からないように現れます。悪魔は人間に対して、「罪を犯す方法を私が教えてあげましょう」とは決して言わないのです。そのように言う代わりに、「何か面白くて、楽しくて、有益なことを見せてあげましょう。」と言うのです。サタンは舞台裏で我々を刺激し、誘惑し、奨励することを好みます。サタンはどこへでも侵入し、目に見えず、ほとんど抗し難い「時の精神」として、その最も効果的な仕事をするのです。

○人類始祖アダムとエバの堕落の結果

1、ギリシャ正教の教父たちは、アダムとエバがエデンの園から追放された時に彼らに肉体の死という呪いがかけられたことを強調します。キリスト教は神との結合を通して、死を克服することができると宣言します。

2、原罪は最初の夫婦から生殖行為を通して、その後の全ての男女に伝えられています。その結果は人生の真の目的についての人間の無知や情欲の破壊的な力の中に現れています。

3、堕落した人間は罪を犯さずにいることができない存在です。故に救いは神の無条件の恩寵によってなされるのです。

4、人間は神の創造目的を成就するために、道徳、文化、宗教において漸進的に進化してきたのです。我々は理想的でない社会に生きているが、それを改善することができるのです。全ての人間は各自が神の子となり地上に神の国を実現するために働くように要求されているのです。

○贖罪論

一、ユダヤ教の贖罪(救済)観

ユダヤ教では神の律法を守ることによって人間は神に受け入れられるとします。律法を真の意味では全うしきれない人間の根底にある無力さや罪深さについては深い考察は行われていません。ユダヤ教のメシヤ像は個人的救い主というより、政治的解放者です。神と人間との関係は神と私という個人的関係よりも神とイスラエル民族としての関係がより強調されます。

二、キリスト教の贖罪(救済)観

キリスト教においては人間が律法によって義とされる道はないとされています。

律法は人間に罪の自覚を促すための鏡のようなもの (ロマ3/20)
「義人はいない、一人もいない」 (ロマ3/10)
全ての人間はアダムの後孫である限り等しく生まれながらの罪人である (ロマ5/12) 
罪人である全人類は皆等しく、罪の代価として”死”を払わなければならない (ロマ6/23)
律法は信仰によって義とされるために私達をキリストに連れていく養育掛 (ガラテヤ3/24)
イエスキリストの死は私達の身代わりの死であった

○罪の許し

キリスト教の贖罪論においてはイエスの十字架は正にその中核であり、その贖罪の論理の全ては十字架を中心として組み立てられています。従って十字架贖罪論さえ認めるならば、一応キリスト教の範疇として認めようというのが今日のキリスト教の一般的姿勢といえます。

○罪の支払う報酬としての「死」

「罪の支払う報酬は死である」 (ロマ6/23)

罪の結果死が到来したのだとすればその罪を我々に代わって背負われたキリストはその清算のための代価として死を当然支払わなければならないというわけです。

三、贖罪論の歴史的変遷

1、初代教会における贖罪論

○イレナエウス Irenaeus 130-200

アダムが本来完成すべきであったことをキリストが根本的にやり直すことをもって贖罪の業がなされる。

○東方教父のオリゲネス 185-254

イエスはご自分を保釈金として提供することによって人間を罪の束縛から解放した。
(マルコ10/45、ガラテヤ3/13)

イエスの身の代金はサタンに対して払われたと主張:賠償説(ransom theory)

○ニュッサのグレゴリー Gregory of Nyssa 335-395

サタンのことをキリストの肉という餌につられて飲み込んだところ、キリストの神性という釣り針に引っかかった貪欲な魚に例えました。キリストの勝利説

キリストはサタンの捕虜となっている人間を救い出すためにサタンと闘い、その生涯、死、復活によって、サタン、罪、死など全ての悪の力に対して決定的な勝利を収められた。

2、中世の贖罪論

アンセルムス Anselm 1033-1109

あがないの代価は神に対して払われたとしました。賠償金という言葉の代わりに充足(satisfaction)という言葉を用いました。充足説

罪:神の名誉を傷つけたこと、冒涜したこと

充足(償い)か処罰か二者択一的に考えました。人間は自分では罪の償いができないとします。その理由は賠償として支払えるものをもっていないことです。人間は自分では払いきれないぐらいの大きな負債を負っているというのです。人間が償いができないからといって人間を処罰するのであれば全人類の完全な滅亡となり、それは結果的に神自身の業を滅ぼすことになり、創造における神の目的の完全な挫折を意味することになります。神がその代価を支払うしかないのです。人間の代わりに神御自身が十字架に架かりその代価を払い、傷ついた神の栄光を回復(充足)されたのです。罪を犯したのは人間なので人間がその償いをすべきであることから償いは神にして、完全な人間、すなわち神人のみがなし得るというのです。キリストは神に対して、その死により余分の功徳を積まれました。その功徳の報いが人類のための救いという形で与えられるようになったというのです。

仏教(Buddism)

仏教(Buddism)

一、仏教の基本

仏教は釈尊の悟りから出発

釈尊はシャーキャ族の王子として誕生します。物質的には何の不自由もなく育ちました。しかし生・病・老・死の問題に深く悩み、29才の時に父王、妻、子供をおいて出家しました。

1、出家修道と六年に及ぶ難行苦行:苦行生活をするがそこにも安らぎを求めることができませんでした。来世で安楽を得るために厳正で苦行するという考え方に疑問を感じました。
2、菩提樹の下で深い霊的境地に入り神通力、神霊力を備えました。
3、悪魔の試練を乗り越えました。悪魔は美しい3人の娘によって色仕掛で堕落させようとしたが、なし得ず次に種々の暴力によって屈服させようとしました。如何なる暴力・武力にも屈しないという釈尊の内的な強い覚悟によって悪魔はついにあきらめました。

釈尊が悟った内容

縁起の法と永遠の生命:全ての存在は空間的、時間的に相互関連し、因果関係にある
苦の解決:苦は縁によって生じる

十二因縁:十二項目の苦の根本的原因の洞察

「無明に縁りて行生ず。行に縁りて識生ず。識に縁りて名色生ず。名色に縁りて六処生ず。六処に縁りて触生ず。触に縁りて受生ず。受に縁りて渇愛生ず。渇愛に縁りて取生ず。取に縁りて有生ず。有に縁りて生生ず。生に縁りて老死の苦しみ生ず。無明あますところなく滅すれば行滅す。行滅すれば識滅す。かくのごとくにして全ての苦は滅する。」

苦が生じる原因は渇愛で、渇愛は無明から来ます。渇愛は過分な激しい欲望、利己的愛欲のことです。無明は真理に明るくないことでう。霊的無知の状態です。

苦の解決は無明と渇愛を克服し滅し尽くすこと、それによって涅槃の境地を得て、解脱に至ることです。涅槃とは渇愛などの煩悩の日を消し去って得られる平安と安らぎの境地、知恵と慈愛に満ちた境地です。解脱とは輪廻転生する苦悩の生存からの解放です。

輪廻転生:インドの古くからの生命観で過去、現在、未来にわたって生死を繰り返し、この生死の輪廻は苦悩に満ちているとされていました。

四諦の法門(Four Noble Truths)

諦:真理を意味する十二縁起説に基づく実践的教え。苦諦、集諦、滅諦、道諦の四段階、これを通して人生の苦悩を解決できる

1) 苦諦:人生が苦しみに満ちていることが説かれている     

四苦
生病老死      

八苦 
愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ)
怨憎会苦(憎む者と出会う苦しみ)
求不得苦(求めても得られない苦しみ)
五陰盛苦(心身から盛んに起こる苦しみ)

2) 集諦:苦しみを招き集める原因は渇愛であると説く

3) 滅諦:渇愛を取り除き苦しみを消滅した状態、涅槃

4) 道諦:涅槃に至るまでの道を説く

修行方法を示したもの:八正道

正見:縁起の道理によって人生、世界を正しく見ること
正思:正しい思い、意志
正語:正しく真実の言葉を語ること
正業:正しい善い行いをすること
正命:心と体と口の働きを正しくして、正しい生活をすること
正精進:正しい努力を重ねること
正念:正しい道を憶念し、理想目的を忘れないこと
正定:精神を統一し迷いのない清浄な境地に入ること、禅定

二、原始仏教の三法印

諸行無常:諸々の現象が生じては滅び、生じては変化してやまないこと
諸法無我:他と関係なく孤立して存在するものはない
涅槃寂静:知慧が完成する悟りの境地
無常無我:実践のために説かれた教え

無常:変化してやまない永遠でないものに対する執着を切って努力、精進すべきことを教える
無我:無明煩悩多き自己に執着せず、我執を否定して他の為に尽くし、永遠者と一つになることを教える
原始仏教はこの三法印を説かなければ仏教ではないと主張しました。仏教はその後上座部と大衆部に分裂し、たくさんの分派が現れてくる。紀元前後には改革運動が起こり、大乗仏教が現れてきました。

三、大乗仏教

日本、韓国、中国に伝わった仏教。インドから中央アジア、西域を経て伝えられた北伝の大乗仏教

日本には六世紀に百済の聖明王の使者によって伝えられました。高句麗の慧慈、百済の慧聰から仏教を学んだ聖徳太子は仏教を受け入れるに際し、多くの仏典の中から全ての者が救われると説く教典だけを選択しました。

空の思想と菩薩道
因縁によって生滅する存在を有と無を越えて理解しようとする教え
有と無に対する執着を離れるために用いられた表現
自己に執着せず、他人を慈しんで奉仕をすべきであると慈悲の行いを強調。慈とは楽しみを与えること、悲とは苦しみを取り除いてあげること
慈悲の実践に励み完成をめざして修行する人を菩薩と呼ぶ
菩薩道こそ仏陀に至る道であると強調
原始仏教や部派仏教では、無明煩悩を滅し尽くすべきと説いていましたが、大乗仏教では煩悩は即菩提、生死は即涅槃と説きました

煩悩即菩提:煩悩を転じれば悟りに通じる
生死即涅槃:生死輪廻の中に真の悟りと安らぎを得る 
無明煩悩に覆われた者であっても、その奥には清浄な本性があり努力すれば仏となる可能性、仏生を持っていると力説しました。

天台宗の教えに「一隅を照らす」というものがあります。
そこにはこう書かれています。

「国家の富は物理的な富ではなく、仏陀を信仰し、それによって暗闇を照らす個々人にあります。誰もが自分の中に仏性を持っており、私たちはこの深遠な真理に目覚めなければなりません。」

○永遠の仏陀観 

大乗仏教では仏陀を最高の理想像として仰ぎ、宇宙の生命を仏陀の本体としてとらえ、存在の根源を永遠の仏陀として理解しました。

華厳経の毘盧舎那仏、密教の大日如来、法華経の久遠本仏、浄土門の阿弥陀仏

奈良の大仏は毘盧舎那仏、鎌倉の大仏は阿弥陀如来

如来:真如(真理と存在の根源)から来るという意味

仏教は創造の神を説いていないが、永遠なる根源を説く思想があります。

四、鎌倉仏教

鎌倉時代に現れた新しい日本仏教の諸宗派は全て天台宗から出たものであり、天台宗は鎌倉仏教の生みの親の役割を果たしながら現在に伝えられています。

人間は本能的に恐怖や苦痛から身を避けようとします。人々に死を忘れず生死に真摯に取り組もうと言っても、むしろ人間は何とか死を忘れようと意識的にも無意識的にもつとめます。

平安末から鎌倉にかけての社会はあらゆる面に死が露出し生を脅かしました。現実が楽しむことのできない苦界であり、苦に満ちた人生であるとすれば人々は楽しむべき、愛すべき世界を他の世界に求めるようになります。当時死後の極楽浄土を求める思想が強く人々の関心を引いたのはその故です。そうした中、法然は末法の時代汚濁の世相を凝視し、同時に自らの本性を省みながら、罪悪生死の凡夫が救われる道を求めました。

法然9才の時、父が夜襲をかけられその時負った傷がもとになって亡くなりました。

父の遺言:「敵を恨んではならない。仇討ちをすればその恨みは尽きず争いは何代も絶えないであろう。世俗の世界から出家して私の菩提を弔い、自らの解脱を求めよ。」

法然の出家求道の課題:生死をめぐるすさまじい愛憎執着の世界にあって、如何に恨みを越え、憎しみを離れた平安な世界に自他共に救われるかということ

平安時代の中頃から鎌倉時代の初めまでの間天災地変が多く起こりました。その結果凶作があり、飢餓と疫病が大流行しました。人々は末法到来を感じとりました。人々はこのような社会からの救いを政治と仏教に求めました。しかし天皇を中心としてそれをとりまく貴族たちと、貴族勢力の繁栄を祈ることに賢明であった古代仏教とでは現実の政治と宗教を支配することはできなくなっていました。それでも人々はあくまでも仏教に最後の救いを求めることをやめませんでした。

法然は43才まで長い精神の葛藤が続きました。「出離の志しは深く、様々な教法を信じ、様々な行を修める。仏教多しといっても、つきつめれば戒・定・知慧の三学に至る。しかし悪行煩悩の絆を断たない限り解脱の道はない。」

罪悪凡夫の自覚 己自らを凡夫と自己認識することではなく、何とかしてそれを離脱せんと必死にもがいて、しかも脱し得ぬ悲痛な叫び、救いようのない悲嘆です。生死の危機に直面したとき、世間の人々が如何に弱く醜い存在であるか、世俗的価値、世間の虚飾が如何に役に立たないかを暴き出し、真実とは何か、人生の生きがいは何かを真正面から問いただしました。自身の現実、内面の真相が照らし出されてきます。生死の問題を突き詰めていくと必然的に罪業の問題と不可分に関わってきます。法然が世間を見渡したとき、そこに自分と全く同類の人々が救いを得られぬままに苦しんでいるのを見出しました。自分の救いと大衆の救いとは同じく与えられねばならないと考えました。本来仏の慈悲は一切衆生の救いにあるはずだと考えました。

法然は43才の時に、唐の善導の「観経疏」の一節により悟りを得ました。ただ一心に南無阿弥陀仏と唱える念仏だけで、如何なる罪深い人、如何なる愚かなる者もことごとく極楽往生できます。それこそが阿弥陀仏が選び取った本願でした。この阿弥陀仏によって選択された本願の念仏の発見に、長い間求め苦しんでいた大疑問が解けたのです。末法の世に罪深い自らを救うべき道が既に用意され、慈悲の中に抱かれ、念仏の光明に照らされる自己を発見したのです。凡夫の救われる道は自力を超絶した絶対者による救いの力を信じる以外にないのでした。絶対他力の仏に今現に摂取され、救われているという直感的な宗教的体験がその後の法然の信仰の根底となりました。他の修行を捨てて念仏一行に帰した「専修念仏」の行者の心のありようを安心といいます。法然は唐の善導大師に倣って三心を挙げ、その核心を「深心」におきました。

深心とは深く信じる心

1、自らは罪深い凡夫であり、救われる可能性は全くなく、地獄の業苦を免れることのできない恐ろしい存在であることを信じる

2、凡夫をこそ救うために絶望の底に阿弥陀仏の慈悲の光が注がれ、本願の力が無量に働いている事実を信ぜしめられ、信を頂いたと感じる

阿弥陀仏の光明があまねく全世界を照らし、万民を救うと信じて、一心に念仏を唱える者は必ず生死を越えた真実の仏の世界に往生することができると説いたのです。

「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏に帰依するという意味です。
高次の存在を信頼して受け入れることで、異なる視点から物事を見ることができるようになります。

顛倒の見:逆さまの見方

本来は真実(仏)あっての自分(我)であり、真実(法)に随順してこそ真の自己(我)であり得るのに、凡夫は常に自己中心的にものを見、真実の法に背き、自分の我欲煩悩にとらわれています。底に凡夫の我顛倒の過ちがあります。

顛倒を脱する方法として法然は真実の仏の働きに全てをゆだねるしかないとしました。絶対者の側からの恩寵、他力を強調したのです。

自己中心から法(絶対者)中心へと心が転じる回心、以前の自己が内部から崩壊し、自分が死んで新しい生に蘇る再生・復活、自分の生ではなく絶対者の生を生きる新生は広く宗教神秘主義にみられます。法然もこのような一種の神秘体験があったに違いありません。法然は何か宇宙的真理の生ける実体に無限に抱擁されているという受動感、特殊な心の喜び、高揚感と平安といった実感・直感によって正見に照らされている自分を発見したのです。

信じることも凡夫が起こす信には違いないが、単に信ずるというのではなく、信ぜざるを得ない、信ぜしめずにおれないという仏からこちらに回廻された信、「たわまりたる信心」となります。何人の念仏、如何なる心の状態での念仏も功徳は等しいとします。阿弥陀仏の本願による絶対的救いを人間の相対的見方を持ってうかがうことは全て顛倒の見方とします。

儒教(Confucianism)

儒教(Confucianism)

創始者:孔子(551-479B.C.)
古来の敬天、天命思想を継承し、先王の道を尊び、周王朝の礼楽文化の復興を求めた古代思想の大成者

●敬天思想:万物の根源を天と称し、宇宙の主宰者を天帝と呼んで畏敬した信仰に基づくもの
●天命思想:天が万民を生み、統治は天命を受けた有徳の天子によって行われるべきことを説く思想
●先王の道:理想的な徳治の道 

人間の主体性による倫理観を打ち立て、人間の普遍的感情を道徳性の面においてとらえ、これを仁と呼びます。人間を外部的に規制するものとして礼を取り上げます。政治思想としては徳治を主張します。これは君主は道徳的に卓越していなければならぬとする主張です。政治の倫理化です。孔子の学問の目的は倫理的な自己完成から、さらに進んで他人の人格を完成させ、倫理的にすぐれた社会を建設しようとするところにありました。これらを総合した最高目標を聖と呼び、その徳を備えた人を聖人と呼んでいます。目標を達成するためには仁とともに知と勇が必要であると説きます。

孔子の思想の中心は仁です。仁は人と人が親しむという意味で、他者への親愛の情です。
礼は仁を基とする規範であり、仁は礼を通して実現されます。

儒教思想の世界観と平和観

根源的な存在である天により宇宙万物が生じ、一定の規則と秩序により制御されています。人類は天の特別な恵みに恵まれて自主性を与えられ万物の霊となり、大地の霊に恵まれて生存します。天は父の如き、地は母の如き、ゆえに、人間は天地を見習い、秩序整然とすべきです。徳を感じて恩を返し、仁義忠孝を尊びます。自主して発展、創造します。天と人の関係を中心として、人間の道徳と倫理の実践を通して平和は実現されます。
「中和を致せば、天地位し、万物育す。」

儒教の人間関係

儒教は家庭を中心とした人間関係というものを強調します。全ての人間の行動は五つの関係の中に見られます。親子、夫婦、兄弟姉妹、友人間、統治者と民衆間の五つの関係です。その中で最も強調されるのが親子関係、それを拡大した年齢の上下の関係です。

儒教の結婚観

男女は格位において差があるが、愛においては両者は平等であると教えます。しかし実際の家庭生活において、権利は男だけに与えられており、女には従順と義務だけが要求されていることが多くありました。

愛が冷え、夫婦関係が破綻しても、子供のために家庭の枠組みだけは守るという儒教型家庭は、欧米の夫婦中心の家庭(夫婦の愛が冷めると、子供におかまいなくさっさと離婚する)に比べると利点をもっていました。何故なら夫婦の仲が悪くても離婚しないほうが子供にとってはよいからです。儒教型の子供中心の家庭生活を守ってきたのはもっぱら女性でした。儒教型の伝統的家庭では、女性は妻として夫に、母として子供に仕えてきました。しかしその女性達が一方的な忍耐と奉仕を拒絶するようになり、儒教の結婚と家庭の伝統は崩れつつあります。

2023年12月18日月曜日

サムソン - 士師

サムソン - 士師

モーセの遺志を継いだヨシュアを中心としたユダヤ民族が約束の地であるカナンに定着した後のユダヤ民族の歴史を記したのが士師記です。

士師とはダビデ王やソロモン王で知られるユダヤ王国成立以前の旧約聖書時代の預言者的な指導者のことです。

士師記には他民族の侵略を受けたユダヤの民を救済する物語が記載されています。ここで扱うサムソンは士師の一人です。

サムソンが生まれる前、ギデオンはイスラエルを率いていたが、彼が死んだ後、ユダヤの民は神を忘れ、偶像を拝むようになりました。古代パレスチナの民族のペリシテ人がユダヤの民を支配するようになりました。

ある日、主の天使がマノアという男とその妻に現れました。天使は、彼らにサムソンという息子が生まれ、彼がイスラエルの民をペリシテ人から救うと約束しました。サムソンは神に仕える者とされたので、天使はマノアとその妻に、彼の髪を決して切ってはならないと告げました。

サムソンは成長するとペリシテ人の女性と恋に落ち、結婚したいと両親に告げました。両親は彼女に会うために彼と一緒に旅に出ましたが、その途中、ライオンが飛び出してきて彼らを襲おうとしました。しかし、サムソンは素手でライオンを殺したそうです。その後、サムソンの結婚式のために同じ道を戻ってきたとき、彼は死んだライオンを見て、その体に蜂が蜂蜜を作っているのに気づきました。サムソンはその蜂蜜を少し取って食べました。

サムソンはペリシテ人の女性と結婚し、結婚式の祝宴の席でペリシテ人の男たちになぞなぞを出しました。

「サムソンは彼らに言った、/「食らう者から食い物が出、/強い者から甘い物が出た」。彼らは三日のあいだなぞを解くことができなかった。」(士師記14:14)

その答えはライオンです。

ペリシテの男たちはサムソンのなぞなぞがわからなかったので、サムソンの妻に答えを尋ねました。サムソンは妻に話し、妻は男たちに話しました。男たちがなぞなぞの答えを当て、サムソンが自分の妻にだまされたことを知ると、彼はとても怒りました。怒り狂ったサムソンは妻のもとを去りました。しばらくしてサムソンは妻を探しに戻りましたが、妻は別の人と結婚していました。このことでサムソンは激怒し、ペリシテ人の畑の作物を焼いたのです。

ペリシテ人はサムソンに怒り、彼を殺そうとしました。

サムソンは別の町に逃げ、そこでデリラという女性と恋に落ちました。ペリシテ人は秘密裏にデリラのもとを訪れ、サムソンの力がどこから来ているのか、どうすれば倒すことができるのかを突き止めることができれば、報奨金を出すと言いました。

デリラは賄賂を受け取り、サムソンに強さの秘密を尋ねました。彼女は三度サムソンに尋ねましたが、三度サムソンは偽りの答えを返しました。

サムソンは女に言った、「人々がもし、かわいたことのない七本の新しい弓弦をもってわたしを縛るなら、わたしは弱くなってほかの人のようになるでしょう」。(士師記16:7)

サムソンは女に言った、「もし人々がまだ用いたことのない新しい綱をもって、わたしを縛るなら、弱くなってほかの人のようになるでしょう」。(士師記16:11)

彼は女に言った、「あなたがもし、わたしの髪の毛七ふさを機の縦糸と一緒に織って、くぎでそれを留めておくならば、わたしは弱くなってほかの人のようになるでしょう」。
(士師記16:13)

サムソンを強さの秘密は何でしょうか?

サムソンが生まれる前、天使は両親に、彼の髪は決して切ってはならないと告げました。サムソンの髪を切ると、強さを失ってしまうからでした。

デリラはサムソンを質問攻めにし、疲れ果てさせたのです。サムソンはついに彼女に真実を告げたのでした。その夜、デリラはペリシテ人に知らせ、サムソンが眠っている間に彼の髪を切りました。ペリシテ人がサムソンを捕らえようと押し寄せた時、サムソンは彼らを撃退しようとしたが、彼の力はなくなっていました。ペリシテ人はサムソンの目をつぶし、牢獄に放り込みました。

神のサムソンを通じてユダヤの民をペリシテ人から守るという計画は潰えたように思われますが、そうではありませんでした。

サムソンが牢獄にいる間に、彼の髪の毛が生え始めたのです。ある日、ペリシテ人が神殿で自分たちの偽りの神を礼拝していたとき、彼らはサムソンを連れ出し、2本の柱の間に立たせました。サムソンは神に祈りました。「神よ、もう一度だけ私を強くしてください。」

そして、サムソンは神殿が建っている二本の柱に手を伸ばしました。そして、力いっぱい押すと、柱が崩れ、神殿が崩壊し、そこにいたすべての人々が亡くなりました。

「わたしはペリシテびとと共に死のう」と言って、力をこめて身をかがめると、家はその中にいた君たちと、すべての民の上に倒れた。こうしてサムソンが死ぬときに殺したものは、生きているときに殺したものよりも多かった。(士師記16:30)

サムソンは、神が用いそうもない人物に見えます。プライドが高く、気性が荒く、神の警告に耳を傾けませんでした。それでも神は彼を用いられたのです。

最終的にサムソンは神に栄光をもたらしました。サムソンはペリシテ人を倒し、ユダヤの民を解放するために命を捧げました。サムソンの物語は、ある意味でイエス様を思い起こさせるものです。イエス様は人類を救うために十字架にかかり、犠牲になられました。

怒りの感情

Triangle Family教会の説教日本語訳 ー 「怒りの感情」2023年12月17日
原文説教

何かシンプルなもの、短いもの、心温まるものを考えていました。イエス様の生涯を見ると、イエス様は貧しい人々にとても親切でした。イエス様がテーブルをひっくり返すことについて話したいと思いました。それは私の心の中にありました。

特に政治的には、保守政党を憎んだり、リベラル党を憎んだり、活動家を憎んだり、非活動家を憎んだりと、見当違いの怒りが多いように感じますが、今日は怒りについて話したいと思います。イエス様について考えるとき、イエス様はとても平和的で平静な頭脳を持っていると思われますが、イエス様が怒ってテーブルをひっくり返し、「おい、これは祈りのための神殿であって、金儲けのための神殿ではないぞ。」と言ったこともありました。イエス様を本当に偉大な人物にしたのは何かと考えると、イエス様は自分の痛みと向き合うことを厭わなかったと思います。そのおかげで、彼は人々に殺されそうになってもなお、心を開いて人々に接することができました。

私はキャリアを変え、多くの人々と話し、感情に関するコーチングを行ってきました。その多くは怒りです。人は怒りとうまく付き合っていません。怒りは痛みを伴う感情です。怒りは消化されるべきものです。心を開いて、好奇心を持って、平和な気持ちで自分の痛みと向き合い、感じようとする人には、とても良いことがたくさんあります。しかし、多くの人は痛みを恐れています。私たちの誰もが、古傷を恐れています。痛みを恐れ、痛みと向き合わないでいると、実際には逃げたり、凍りついたりしてしまいます。それが長く続くと、心を開くどころか、無感覚な状態になってしまいます。

多くの二世の人たちと話をする中で、無感覚はほとんど伝染病のようなものだからです。私たちはパンデミックを経験したばかりです。しかし、無感覚は実際にはさらに深刻な流行病なのです。私はこのことについてずっと考えてきたし、実際、自分自身の無感覚と向き合わなければならなりませんでした。無感覚について考えるとき、私は皮肉と諦観について考えます。この2つは互いに結婚し、無感覚という名の赤ん坊を産みます。その問題は、好奇心を殺してしまうことです。だからこそ、私は今日、この問題について語ろうと強く思います。私は自分自身の感情に関して多くの仕事とトレーニングをしてきて、自分の感情の中に多くの知恵があることを発見しました。心と身体の統一を聞いて育った私たちは、この概念について考えています。私の心は私の体を指示し、私の行動は良い真理に沿った私の心に従うべきだという誤解があると思います。でも、心と身体の統一が意味するのは、実はそういうことではないと思います。それは気力で乗り越えることでしょう。心と身体の統一は夫と妻、男と女が一体化するようなものだと思います。男性には男性にしかないものがあります。女性もそうだです。二人が一緒になって家庭を築く役割を果たします。それと同じように、私たちの身体はとても重要なものをもたらしてくれます。それは感情と大きく関係しています。

感情、怒り、悲しみを癒す必要があります。子供たちを見てみると、子供たちは生まれつきとても感情的です。体が即座に反応します。とても正直なんです。大人は感情を感じなくします。痛みを感じようとしなくします。私たちはそれを子供たちにまで押し付けてしまいます。子供が悲しんでいるのを見ると、本当に穏やかでなくなります。でも、悲しみは自然で美しい感情だし、怒りもそうです。今日は悲しみについて話すつもりはありません。イエス様がテーブルをひっくり返すときの怒りについて話そうと思います。

4年前に男性修練会に参加し、自分の怒りに取り組んだことを話したいと思います。正直なところ、私は自分のことを怒っている人間だとは思っていなかったので、本当に不思議でした。怒っている人間だと思ったことは一度もありません。多くの人に腹を立てることもありません。この男性修練会で出てきたのが、たくさんの怒りだったのは驚きでした。自分が何に対して怒っているのかさえ分かりませんでした。ただ、疲れるほど怒りが出てきました。本当に疲れて声が出なくなった後、私は軽さを感じるようになりまし。ずっとそこにあった怒りを吐き出すことができました。それ以来、怒りについて、そして自分の怒りとどう関わっているのかについて、いつも興味が湧いてくるようになりました。

例を挙げましょう。私は夫婦の時間の計画を立てていました。そのとき、私は歌を用意していました。その歌は、お腹の赤ちゃんに一緒に歌って聞かせるためのものでした。とてもかわいいアイデアでした。私は歌を弾くためにギターを習っていました。音符を覚えていました。私は妻にあと5分で夫婦の時間が始まることを告げました。妻は自分の仕事をしながらパソコンを打っていました。20分は経ったと思います。私はギターをもう少し練習していました。45分経ったと思います。彼女は仕事を終えてやって来ました。私はかなり怒っていました。仕事でないがしろにされた感じでした。ちょっと偽善的な気がしました。彼女は、私が仕事で彼女をないがしろにすると、私に腹を立てます。彼女は座ってこう言いました。「あなた、これすごくかわいけど、今歌ってほしいなら、私は今歌う気分じゃないのよ。」私はこのギターの歌を1時間かけて覚えました。結局のところ、私の怒りは妻に向けられていたとしても、それは妻に対する怒りではないことを認識しなければなりませんでした。妻への愛に基づいたこのひらめいたアイデアに注力したのに、それがすべて無駄になってしまったことに腹が立ったのです。失望したのです。私は妻に、この夫婦の時間を計画したのに実現しなかったことに失望したと言いました。皮肉なことに、夫婦の時間の目的は私たちの関係を発展させ、愛を深めることであって、妻への愛を冷ますことではありません。妻に腹を立てると、私は冷たくなり、心を閉ざし、話したくなくなります。それは夫婦の時間の目的ではないので、とても皮肉なことです。最終的には乗り越えることができました。歌いたくないんだね。それでいいんだ。歌う必要はないんだ。結局、私たちは素敵な夫婦の時間を過ごしました。お菓子作りの番組を見たのです。

私は愛に戻るために怒りを乗り越えなければなりませんでした。怒りは無意識であるときにこそ危険で、暴力的になり、精神的な殺戮のようになります。これは乗っ取られた怒りです。根源的な怒りではありません。根源的な怒りは重要な感情です。私たちをより良く変化させる原動力となる中核的な感情なのです。それは私たちを成長させ、動かす原動力となります。怒りの鍵は、何が正しい怒りなのかを知ることです。そこで心と身体の統一の出番となります。この怒りは悪いものだと言って片付けてしまうのは、私たちの身体と身体がもたらしてくれるものを否定することになるのです。私の身体が怒りを感じているのだから、私の心が私の身体と協力して、心と身体の両方が同意できる真実を導き出すのです。それが正しい怒りを見つけることです。

義にかなった怒りの例をいくつか挙げます。私自身の生活の中で気づいたことがあります。まず、私の娘から。私たちが娘を支配すると、娘は怒ります。それはたいてい、私が娘を抱き上げて「もうやめて」と言ったときか、チャイルドシートに乗せたときです。娘は本当に怒って暴れだします。支配されることは自由意志の侵害だから、怒るのは理にかなっています。怒る意味があります。私はただ彼女が怒っていることを受け入れます。

私は父を愛しているし、慕っているけれど、長い間父に腹を立てていました。私は父と良い関係を築きたかったから怒っていました。私は十分な愛情を得られていないと感じていたから、怒って父を責めました。今は父を愛しています。心配しないで下さい。私たちはいい関係を築いています。私は自分の怒りを否定しようとしていただけです。でも、もっと深く見れば、愛がないことは怒りに値します。結局のところ、怒りは私たちの庇護者であり、擁護者なのだと思います。私たちが非難されたとき、なぜ怒るのか納得がいきます。バカにされたときと同じように、怒りは当然湧いてきます。バカにされることに怒るのは、相手が私のことを気にかけていないように感じられるからで、それは怒るに値します。私たちの精神は自然に所属を求める。自分の居場所はここにはない、と居場所を断ち切られれば、怒りが沸き起こるのも納得がいきます。最後に、怒りを否定するのではなく、怒りに心を向けることを勧めます。もしあなたが人に腹を立てているとしたら、その怒りは乗っ取られたものだと言えるでしょう。私が妻に腹を立てていたとき、私の怒りは乗っ取られていました。怒りの核心は、善、愛、美を軽んじる悪に向けられるものです。怒る価値があるのは、本当にそれだけなのです。テーブルをひっくり返してくれたイエス様に感謝します。最後に祈りを捧げましょう。

神よ、私たちがあなたの子どもとして兄弟姉妹として集う機会を与えてくださったことを感謝します。私たち一人ひとりに対するあなたの心、あなたの知恵、あなたの恵みを見ることができるように成長し、あなたが私たち全員に望んでおられる大きな愛、つながり、霊的活力を経験することができるように成熟できるように祈ります。あなたの英知を祈ります。あなたの導きを祈ります。私たちが心を開き、あなたに心を向けることができるよう、あなたが私たちとともにいてくださるよう祈ります。御名によって報告します。


ユダヤ王国の分裂

ユダヤ王国の分裂

紀元前933年、ユダヤ王国は、南のユダ王国および北のイスラエル王国に分割されました。ユダヤ王国はユダヤの12部族による統一王国でしたが、この分裂により10の部族は、北のイスラエル王国、そして残りの2部族が南のユダ王国を治めるようになりました。

南北の王朝のうち北の王朝は260年間に19回王が交替し、その度に殺害などの陰惨な王室の変遷がなされました。それに対し南の王朝はイスラエル民族のそれまでの信仰を保つ傾向にありました。南から多くの預言者が出て、北の王朝にイスラエルの信仰を保つように働きかけがなされました。預言者エリヤはその代表的存在であり、メシヤの到来に先がけてエリヤが再臨すると信じられるようになりました。

その後北のイスラエル王国は、紀元前722年にアッスリアにより追放され、現在のイスラエルの地には戻らなくなりました。

「ついに主はそのしもべである預言者たちによって言われたように、イスラエルをみ前から除き去られた。こうしてイスラエルは自分の国からアッスリアに移されて今日に至っている。」(列王記下17/23) 

それらはイスラエルの失われた10部族と呼ばれます。この10部族の後孫と考えられる人々がインドやアジア各地に存在しているそうです。そこでは古代のユダヤの習慣が残っているそうです。10部族のうち日本に来た部族もおり、神道の習慣の中には古代のユダヤの習慣から来たものがあるという説もあります。

北の王朝滅亡に続き、南の王朝も中東を広く治め勢力を拡大しつつあったバビロンの攻撃を受けるようになりました。バビロンを強大国家にしたネブカドネザル王はエルサレムを攻撃し、ソロモンの建設した神殿 (第一神殿) を破壊し、南の王朝の王族、大臣をはじめ多くのユダヤ人を捕虜として連行し、南の王朝も滅亡に至りました。

イスラエル民族の苦難の歴史はこのような紀元前の時代にも数多くみられます。


ソロモン王の時代

ソロモン王の時代

ソロモン王は父ダビデ王の意志を引き継いで最初の神殿(現在第一神殿と呼ばれている)の建設をその治世の代4年目の紀元前1034年に開始し、治世の代12年目の紀元前1026年に完成させたとされ、この神殿はその後、ネブカドネザル王が率いるバビロニア帝国軍に滅ぼされる紀元前607年まで存続したとされています。

このソロモン王は、非常に聡明な王だったと言われます。政治の組織作りや文化事業など、あらゆる面に彼の知恵は発揮されたとされ、統一王国は大いに発展しました。

ソロモン王に関する有名な話として、その名裁きがあります。

それぞれ1人の赤ん坊を自分の子供だと主張する2人の女がソロモン王のところに訴えてきました。そこでソロモン王は二人にある提案をしましたた。それは刀で赤ん坊を二つに切って、半分づつ分けるというものでした。その提案に対し、一人は赤ん坊をそのまま相手の女に渡してくださいと訴え、他方は提案どおりにしてくださいと訴えた。それを聞いたソロモン王は最初の女こそ実の母親であると見極めたといいます。

「そこで王は「刀を持ってきなさい」と言ったので、刀を王の前に持ってきた。
王は言った、「生きている子を二つに分けて、半分をこちらに、半分をあちらに与えよ」。すると生きている子の母である女は、その子のために心がやけるようになって、王に言った、「ああ、わが主よ、生きている子を彼女に与えてください。決してそれを殺さないでください」。しかしほかのひとりは言った、「それをわたしのものにも、あなたのものにもしないで、分けてください」。
すると王は答えて言った、「生きている子を初めの女に与えよ。決して殺してはならない。彼女はその母なのだ」。
イスラエルは皆王が与えた判決を聞いて王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。」(列王記上3:24-28)

繁栄を極めていたイスラエルの統一王国には多くの客人が訪れたとされます。その中には現在のエチオピア系のユダヤ人の由来を語るのに重要なシバの女王(queen of sheba)も含まれます。シバの女王はソロモン王の物語に登場するアラビアの女王です。シバは国名で、南アラビアの人々、およびそこから紅海を渡ってエチオピアに植民した人々を、旧約聖書は「シバ人」と呼んでいます。

シバの女王はソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやってきたが、ソロモンはその全てに解答を与えたとされます。

「シバの女王は主の名にかかわるソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試みようとたずねてきた。
彼女は多くの従者を連れ、香料と、たくさんの金と宝石とをらくだに負わせてエルサレムにきた。彼女はソロモンのもとにきて、その心にあることをことごとく彼に告げたが、ソロモンはそのすべての問に答えた。王が知らないで彼女に説明のできないことは一つもなかった。」(列王記上10:1-3)

エチオピア建国の祖メネリク王は、ソロモン王とシバの女王の子という伝説が、現在も残っているそうですが、エチオピア系ユダヤ人の由来はこの時代のイスラエルとエチオピアの交流にまでさかのぼって語られます。

ちなみにエチオピア系ユダヤ人は1985年のモーゼ作戦と1991年のソロモン作戦と呼ばれる軍用機を用いた大空輸作戦で多数がイスラエルへ移住しました。しかしユダヤ人の血を引くといっても肌の色は全く異なり、イスラエルの中に少なからぬ人種問題を引き起こしています。

ソロモン王は非常に優れた王でしたが、男性の共通の弱点である女性問題には打ち勝つことはできなかったようです。ソロモン王は700人の王妃と300人の妾をかこっていたそうです。特にその晩年には異教徒の王妃や妾の影響を受け異教を崇拝するにいたりました。

「彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。
ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。このようにソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。」(列王記上11:3-7)

中国の唐の時代の名君とされる玄宗皇帝が楊貴妃を溺愛し、そのことが唐の滅亡へとつながったように、ソロモン王の晩年の醜態はその後の統一王国の分裂へとつながることになります。

2023年12月17日日曜日

ユダヤ王国と神殿建設

ユダヤ王国と神殿建設

モーセの使命を継承したヨシュアが、イスラエル民族を率いてカナンの地に入った後、15代の士師が約400年間、イスラエル民族を治めました。そして最後の士師サムエルは、サウルに油を注いで祝福し、イスラエルの王国の最初の王としました。

「その時サムエルは油のびんを取って、サウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った、「主はあなたに油を注いで、その民イスラエルの君とされたではありませんか。あなたは主の民を治め、周囲の敵の手から彼らを救わなければならない。主があなたに油を注いで、その嗣業の君とされたことの、しるしは次のとおりです。」(サムエル記上10/1)

サウルの次の二代目の王がダビデです。このダビデが王国の基礎を築き上げ、またエルサレムの発祥の地とされるダビデの町を築き上げたるのです。そして三代目の王のソロモンのときに最初の神殿(第一神殿)が建設されました。

紀元前1000年頃、ダビデ王とその従者たちとはエルサレムへ行って、その地の住民エブス人を攻め、シオンの要害を取りました。これがダビデの町です。ダビデは、エブス人を水をくみ上げる縦穴から兵を送り攻略したのです。

「すなわちヘブロンで七年六か月ユダを治め、またエルサレムで三十三年、全イスラエルとユダを治めた。
王とその従者たちとはエルサレムへ行って、その地の住民エブスびとを攻めた。エブスびとはダビデに言った、「あなたはけっして、ここに攻め入ることはできない。かえって、めしいや足なえでも、あなたを追い払うであろう」。彼らが「ダビデはここに攻め入ることはできない」と思ったからである。
ところがダビデはシオンの要害を取った。これがダビデの町である。
その日ダビデは、「だれでもエブスびとを撃とうとする人は、水をくみ上げる縦穴を上って行って、ダビデが心に憎んでいる足なえやめしいを撃て」と言った。それゆえに人々は、「めしいや足なえは、宮にはいってはならない」と言いならわしている。」
(サムエル記下5/6-8)

ダビデの町は現在のエルサレムの旧市街の嘆きの壁近くの糞門を出た南側にあったとされ、第一神殿時代の遺跡の発掘作業が進められています。発掘作業の過程で発見されたウォーレンの縦穴は上記のダビデ王のエルサレム攻略の際に使われた縦穴と考えられています。

ダビデの町も旧市街と同様、現在の住民の大半はアラブ人ですが、熱狂的ユダヤ教徒はその一帯はダビデの時代からユダヤ人のものだ主張し、アラブ人との衝突があります。

ダビデはダビデの町のうちに自分のために家を建て、また神の箱のために所を備え、これがために幕屋を張りました。

「ダビデはダビデの町のうちに自分のために家を建て、また神の箱のために所を備え、これがために幕屋を張った。」(歴代志上15/1)

神の箱の中にはモーセが受けとったとされる十戒の記された石板が安置されており、荒野でカナンの地を目指し流浪するイスラエルの民を一体とする信仰の対象でした。

「王は預言者ナタンに言った、「見よ、今わたしは、香柏の家に住んでいるが、神の箱はなお幕屋のうちにある」。」(サムエル記下7/2)

ダビデは神の箱ならびに幕屋をカナンの地に定着したイスラエル民族の信仰の対象となる神殿として完成させようとしたようです。また新約聖書のヨハネによる福音書2/21にイエスキリストが自分の体を神殿に例えていることから、この神殿はイスラエル民族が待ち望むメシヤを象徴するものでもあったと考えられます。ちなみにイエスキリストの言動には旧約聖書から用いられているものが多くあります。メシヤ再来を願う狂信的グループが神殿の丘を目指したりするのも神殿の丘とメシヤの関連を信じているのかもしれません。

主の僕はガデに命じ、ダビデが上って行ってエブスびとオルナンの打ち場で主のために一つの祭壇を築くように告げさせた。・・・・ダビデはその所のために金六百シケルをはかって、オルナンに払った。・・・・ダビデは命じてイスラエルの地にいる他国人を集めさせ、また神の家を建てるのに用いる石を切るために石工を定めた。ダビデはまた門のとびらのくぎ、およびかすがいに用いる鉄をおびただしく備えた。また香柏を数えきれないほど備えた。・・・・こうしてダビデは死ぬ前に多くの物資を準備した。そして彼はその子ソロモンを召してイスラエルの神、主のために家を建てることを命じた。(歴代志上21/18-22/6)

「イスラエルの人々がエジプトの地を出て後四百八十年、ソロモンがイスラエルの王となって第四年のジフの月すなわち二月に、ソロモンは主のために宮を建てることを始めた。」(列王紀上6/1)

ダビデは神殿建設を精力的に目指したが、果たせなかったのは、聖書の記録によるとダビデは王国の基礎を築くための幾多の戦争を繰り返したがゆえに、平和の時代の訪れるソロモンの時代へと繰り越されたとあります。

現在のイスラエルの国も戦争の繰り返しで国家基盤を築き上げてきたわけですが、中東和平の話し合いが進み、平和の時代が訪れ、イスラエルの人々にとっても真の安住の地となるように願われます。

2023年12月15日金曜日

モーセ

モーセ

キリスト教はイエスキリスト、イスラム教はモハメット、仏教はお釈迦様が言わずと知れた各宗教の創始者です。それではユダヤ教の創始者は誰でしょうか。ユダヤ教は徹底的な偶像拒否、唯一神信仰の宗教です。それゆえに神自身が創始者とも言えます。キリスト教はイエスキリストを神としているので、その意味ではキリスト教も神自身を創始者としているとも言えます。

旧約聖書には多くの神の言葉を預かる預言者があらわれますが、その中でもエジプトの奴隷であったイスラエル民族を救出し、シナイ契約を神と結び、12部族を結集する律法を公布したモーセが最も有名であり、ユダヤ教の原点的存在となっています。その教えがモーセ五書です。またモーセはメシヤの原型、イエスの模擬者ととらえる者もいます。ただし現在のユダヤ教徒はイエスキリストを認めてはいないので、モーセがイエスキリストの模擬者であったというと反発を買うかもしれません。イエスキリストは人々の罪からの開放、モーセはユダヤ民族のエジプトからの開放と、どちらも神と対話をしつつ民を開放へと導く使命を果たした点で類似点を見出すことができます。

旧約聖書の創世記、出エジプト記、民数記、レビ記、申命記をモーセ五書といい、ユダヤ教では、律法の書(トーラー)として、最も基本的な正典とされています。それに続く、ヨシュア記、士師記などは、預言書や諸書として取り扱われています。

モーセ五書の中心は、シナイ契約-エジプトの奴隷からの解放の約束です。神様がモーセを仲保者として、イスラエルの民との間に結ばれた契約を「シナイ契約」と呼びます。この契約の前提として、神がアブラハムと結んだという以下の契約があります。以下の契約成就の条件として人間側の守るべき条項として「シナイ契約」が結ばれたのです。

「あなたが伏している地を、あなたとあなたの子孫とに与えよう。あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南に広がり、地の緒族はあなたと子孫とによって祝福を受けるであろう。私はあなたと共にいて、あなたがどこに行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。」(創世記 28/13-15)

篤実なユダヤ教徒が現在のイスラエルの領土(占領地を含む)に固執するのは上記のような契約が一つの原因ではないだろうかと思います。

出エジプト(イスラエル民族のエジプト脱出)の話は非常に壮大な話です。そして現在でも出エジプトでの出来事を祝う祝日があります。

モーセ誕生
モーセ誕生時、エジプトの王パロは奴隷のユダヤの民が増え続け、やがて支配しきれなくなることを恐れ、生まれてきたユダヤの男の子は全て殺すようにとの命を下しました。モーセの母親はその赤子を殺すに忍びなく、籠に入れてナイル河に流しました。男の子を乗せた籠を、ファラオの娘が拾い上げ、モーセは命拾いをしました。(出エジプト記一章)モーセはメシヤの原型、イエスの模擬者ととらえられることがあると言いましたが、イエスも誕生後、殺意を持っていたヘロデ王から逃れ命拾いをした(マタイによる福音書 2/13-21)という共通点を見出すことができます。

モーセはエジプト宮中で何不自由なく生活しますが、やがて宮中での生活を捨て、ユダヤの民と共に神の約束の地であるカナン(現在のパレスチナ)へと旅立つようになります。その背後にはモーセの実の母による教育があったと考えられます。モーセの実の母はモーセの実の姉の機転で乳母としてファラオの娘が拾い上げたモーセを成長するまで世話をしました。(出エジプト記2/7-10)偉人の背後に賢母ありです。そういうことからでしょうか、ユダヤ人として既定される条件に母親がユダヤ人であることというのがあります。モーセはある時、ユダヤの同胞がエジプト人から迫害されているのを見かねて、迫害を加えていたエジプト人を殺害してしまいます。このような同胞愛は突然生じたものではなく、幼いときに実の母から植え付けられていたのでしょう。

出エジプト
そのモーセをユダヤ人の祖のアブラハム・ヤコブ・イサクの神が召命し、エジプトの王ファラオにユダヤ人の奴隷の身分からの開放と約束の地カナンに旅立たせるように訴えさせました。しかし奴隷解放はそう簡単になされるものではありません。ファラオは頑なにモーセの訴えを拒み続けました。その時に何が起こったかというとエジプトに様々な災難がもたらされたのです。その一つの事件がユダヤ人の間で現在も祝われている過越の祭り(ペサハ)のルーツとなりました。その事件とはある夜神がエジプトの全ての初子を死亡させたというものです。恐らく疫病がエジプト全土に襲いかかったのでしょう。その時、モーセはユダヤ人たちにその害にあわないためにと、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、その結果ユダヤ人には死者はでなかったのです。その事件が継起となり、ユダヤ人は開放され、カナンへと旅立つようになりました。

エジプトからカナンへ至る道のりは非常に困難を伴うものでした。最初にエジプトの軍隊に追撃され、紅海の岸で絶体絶命の危機に遭遇しました。そこで有名なモーセの杖の一撃により水が真っ二つに割れて、ユダヤ人たちはエジプトの追撃隊の手を免れて無事に紅海を渡りきったという話が出てきます。絶妙なタイミングで潮の満ち干きなどにより、渡ることができたのでしょうか。紅海を渡った事件は後のキリスト教の洗礼へとつながっていくものです。これをもって、ユダヤ人はもう後戻りをすることはできない状況となるのです。カナンへの旅路はまさに荒野の中の旅路であったようです。ユダヤ教に一週間仮庵の祭り(スコット)という祝日があります。これは自分たちの祖先が出エジプト当時、荒野の中で仮庵をつくって過ごしたことを思い起こして祝う祝日です。ユダヤ人たちは庭先などに小屋を作ってその中で食事をしたりします。

シナイ山と十戒
エジプトからの脱出に果たしたモーセ一行は荒野の中を約束の地を目指していくことになります。その途中に出エジプトの中心舞台であるシナイ山があります。

シナイ山は現在のエジプト領のシナイ半島サンタカテリーナという場所にあり、標高2,285mです。カイロから実に700キロ近い道のりを経た場所です。現在エジプトならびにイスラエルからバスでの観光ツアーで多くの観光客が訪れています。また頂上からの御来光を目当ての登山者も多いようです。

エジプトを出て約3ヶ月後のモーセ一行はシナイ山のふもとに到着しました。そこでモーセは山に登るようにとの神からのお告げを受け、そこでが十戒を受け取ったとされています。この事件は、ユダヤ教の成立の上で重大なものでした。以下が旧約聖書の出エジプト記20章に記されている十戒の内容です。

前文:わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。(出エ 20/2)
第一戒:あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。(出エ 20/3)
第二戒:あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。・・・それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。(出エ 20/4-5)
第三戒:あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。(出エ 20/7)
第四戒:安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。・・・主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。(出エ 20/8-11)
第五戒:あなたの父と母を敬え。(出エ 20/12)
第六戒:あなたは殺してはならない。(出エ 20/13)
第七戒:あなたは姦淫してはならない。(出エ 20/14)
第八戒:あなたは盗んではならない。(出エ 20/15)
第九戒:あなたは隣人について、偽証してはならない。(出エ 20/16)
第十戒:あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない。(出エ 20/17)

上記の十戒の中で、特に現在のユダヤ教にも大きな影響を及ぼしているのが、第一戒、第二戒、四戒である。ユダヤ教のシナゴーグは実に質素で、信仰の対象として崇める像のようなものが一切ないのは第一戒と第二戒の影響です。ユダヤの神のみを崇め、一切の偶像を崇めないのです。それがユダヤの神を中心とした強烈な自律意識を生み出し、ユダヤ人は頑固者であり、頭を下げるのが嫌いで、自己主張の強い付き合い難い民族だと言われる原因となっているのかもしれません。

実際イスラエルでは二人集まれば三つの政党ができると言われるぐらい自己を主張し様々な意見が飛び交うようです。ある日本びいきのユダヤ人と会って話したとき、イスラエル人は自己を主張しすぎる。それに比べて常に全体を重んじる日本は実にいいと言っていました。

そして第四戒が安息日の規定です。現在イスラエルの公式の休日は日曜日ではなく安息日の土曜日です。

荒野をさ迷う中で、指導者モーセと民衆の間で結束を失うことが度々あったようです。シナイ山頂でモーセに十戒の石板が与えられていよいよ約束の地へ向かって進むかと思われたときもそうでした。民衆は第二戒を破ったのです。金で子牛の像を作り、これをを拝んだと記録されています。(出エジプト記 32/1-6) そしてこの後も何度も何度もイスラエルの民は神様に背き、合計40年の歳月をシナイの荒野で過ごすことになりました。

そこで民衆の結束の中心として幕屋をつくることになりました。この幕屋が後に神殿となり、メシヤ信仰と続いていくことになります。ユダヤ教の聖地である嘆きの壁は後に築かれ、崩壊した神殿のわずかに残った壁です。幕屋はちょうどの日本の御神輿のようなものです。ちなみに御神輿はイスラエルの伝統が日本にもたらされたものという説もあります。御神輿が神社の縮小体であるように、幕屋は将来の神殿の縮小体としての意味があったようです。またそれは来たるべき救世主、メシヤの象徴としてイスラエルの民の結束のためにつくりだされたのです。

出エジプトの話は民衆の結束、ユダヤの神への信仰を保つことの難しさを見事に描き出しています。

モーセの最期と後継者による悲願達成
エジプトを後にし、シナイ山でユダヤ教の基礎となる十戒を受け取ったモーセ一行はカナンの地をめざして、出発の準備を始めました。既に述べましたが、荒野の中をカナンの地まで旅するにあたって、イスラエルの民衆の信仰を保つためにつくられたのが幕屋でした。モーセは幕屋建設の指示を事細かにヤーウエの神より受けとったとされます。後に建設されるイスラエルの神殿は、この幕屋を発展させたものです。幕屋には契約の箱が安置され、その中には十戒を刻んだ二枚の石板が入っていたそうです。幕屋は移動神殿であったわけです。移動神殿と共に、イスラエル共同体は旅する教会として、再び荒野に旅立ったのです。

「イスラエルのすべての家の者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。」(出エジプト40/38)という状況の中で、全て神と共に、幕屋即ち、神殿中心に行動することになりました。

しかし荒野の中を徒歩で旅するのは並大抵のことではなく、イスラエルの民に幾度となくカナンへの旅をあきらめようとする事態が生じました。ヨルダン川東岸(現在のヨルダン領)を北上し、いよいよ約束の地ヨルダン川西岸を目指そうというとき、モーセは神の啓示で、自身はカナンの地に入ることが出来ないと告げられました。モーセは幕屋を中心に、カナンへ至ることに意欲を燃やす次の世代を励ましながら120才の生涯を終えることになりました。

現在のヨルダン領にあるピスガの頂(ネボ山)からは死海の全景は勿論、ヨルダン川、イスラエル側の西岸世界最古の町エリコならびにエルサレムの町まで手のとるように眼下に見ることができるそうです。モーセは、その頂から、約束の地カナンを眺めながら、その生涯を閉じることになりました。(ネボ山は標高710メートルと小高い山になっているが、実際はヨルダン渓谷はマイナス400メートルであり、その落差が1100メートルに達します。)

モーセの意志を相続したヨシュアを中心とした若者たちは、幕屋を担ぎ、ヨルダン川を横切り、西岸へと進軍しました。そして破竹の勢いで、その地域にいた諸王と戦い、勝利を収め、その地に定着基盤を築きました。これは現代のイスラエルが周囲のイスラム諸国と戦い、勝利を収めイスラエルの国を建国し、その地位を不動のものにしていったことを彷彿させます。イスラエルの強さはこのような歴史的、信仰的根拠に由来しているのかもしれません。しかし現代版の方は中東の緊張を生み出したことには違いなく、譲るべきところは譲り、双方の現実的利益のために共存する方向に進んで欲しいと願うばかりです。

タマル

タマル

世界のベストセラーの新訳聖書を手にしてみたことはあっても、最初の名前の羅列を見て読む気をなくし読まずに置いてあるという方が多いのではないでしょうか。それはアブラハムからイエスキリストに至る家系図です。その中に登場する人物はほとんどが男性ですが、4名程女性が登場しています。タマルはその中の一人です。タマルはヤコブの12人の子供の一人ユダの義理の娘です。

旧約聖書の時代のイスラエル民族は性と血統を清く保つことを非常に重要視していたように考えられます。タマルのストーリーもそのことを示しています。タマルはユダの長男エルの嫁として迎えられましたが、エルはタマルとの間に子をもうける前に亡くなります。父ユダは長男の血統を残すために、次男のオナンにタマルとの間にエルの子として子をもうけるように命じます。しかしオナンはタマルとの間にもうける子が自分の子とならず、兄の子となるのが嫌でタマルと関係をもたず、精液を地にもらしました。余談ですが、自慰行為をあらわすオナニという言葉はこのオナンからきたという説があります。オナンのその行為は神の前に悪いことであったのでオナンは死んでしまいます。

子をもうけることができず二人の夫に先立たれたタマルはどうなるのでしょうか。ユダには三男シラがいましたが、ユダはシラをタマルに与えてシラまで死んでしまうことを憂慮しました。そこでユダはタマルにシラがもう少し大きくなれば与えると約束だけして実家に帰しました。ユダがシラを自分に与えるつもりがないことを知ったタマルがとった手段は非常に大胆なものでした。それは売春婦を装い義理の父であるユダと関係をもって子をもうけるというものでした。当事結婚以外の性関係を結んだ者は死刑に処されるという厳格なおきてがありました。そこでタマルはユダからユダの身分を示すしるしを受けとっておきました。後日タマルがみごもったのを風の便りに聞いたユダはタマルを淫行の罪で死刑に処するように命じました。買春を行った自分を棚にあげて死刑を命じるのは男性の身勝手さですが、最終的にユダはシラを与えると約束しながら与えなかった自分の非を認め、タマルが自分よりも正しいとしました。

以上のような話は我々からすると理解し難いものですが、神から選ばれた選民の血統を残すということには非常に大きな意味があり、当時の人々にとっては必死のことであったのでしょう。

イスラエルの民族の祖

イスラエルの民族の祖

○アブラハム

天地創造の神はアブラハムを召命し、祝福します。このアブラハムには腹違いの二人の息子がいました。正妻サラになかなか子供が生まれなかったゆえに、正妻の勧めでアブラハムは召使ハガルとの間にイシュマエルという子をもうけます。その後正妻との間にイサクという子ができます。ハガルはイサクが生まれた後、イシュマエルと共に砂漠の荒野に追い出されてしまいます。ある時アブラハムはその子を供え物として供えるように命を受けます。現在エルサレムのシンボル的存在になっている黄金ドームは供え物をなした場であると言われています。旧約聖書はイサクを供えたとあるが、イスラム教徒はイシュマエルを供えたとしているそうです。

ちなみにアラブ人も自らの祖としてアブラハムを信奉しています。それゆえアブラハムの墓のあるヘブロンという町はユダヤ人とパレスチナ人の両者にとって聖地であり、衝突が絶えません。ユダヤ人とパレスチナ人の争いは規模の大きくなった兄弟げんかのようです。

○ヤコブ

ユダヤ人とアラブ人双方の信仰の祖として崇められ、神からカナンの地現在のパレスチナを与えられたアブラハムの孫のヤコブはイスラエル12部族の父とされています。イスラエルという名はこのヤコブが授かったと聖書に書かれています。

ヤコブは兄エサウを差し置き家督権を相続しますが、エサウの怒りをかい、母方の伯父の家に逃げざるを得なくなります。そこで伯父の娘ラケルに惚れて、ラケルを妻としてもらうために7年間働きます。ラケルを愛したしたので、7年が数日のように思われたとあります。創世記29/20(このように聖書はよく読むと様々な人間模様を見ることができます。)しかし7年の後ラケルと思って一夜を共にしたのが実は姉のレアでした。伯父の言い分によると姉より妹が先に結婚するのはその地の風習ではないとのことでした。この出来事が下記のようなユダヤ教の結婚式の儀式の由来となったといいます。

「伝統的にユダヤ教の結婚式はケトゥバと呼ばれる結婚誓約書にサインすることから始まります。サインの後新郎は新婦のもとに行き、新婦のベールをとって、本当の新婦かどうか確認します。」

その後ラケルも妻としてもらうが、姉妹の間で夫ヤコブの愛を受けるために自分たちの女召使まで使っての子供生み競争が始まります。そのようにして12人の子供が誕生します。ラケルはなかなか子をもうけることができず、二人目の息子を難産の末生んだ後死んでしまいます。このラケルの墓がエルサレムとベツレヘムの中間点にありますが、現在子宝に恵まれる聖堂としてユダヤ教徒の女性たちが熱心に祈りを捧げるといいます。

ヤコブは最終的に故郷に帰り兄エサウと劇的な和解をしますが、その途中でヤコブが天使と相撲をとったとあります。ヤコブはこの天使との相撲に勝ったことで「イスラエル(勝利者)」という名前を授けられました。

ヤコブの12人の子供がイスラエル12部族の始まりとなったとされてますが、その一人ヨセフが様々な過程を経てエジプトの宰相となります。その後大規模な飢饉が発生し、ヤコブと他の子供たちも食料を求めにエジプトに下ります。そこで子孫が多くの子を生み民族を形成するようになります。それに恐れをなしたヨセフ亡き後のエジプトの王はユダヤの民を奴隷とします。そしてモーセによるユダヤ民族エジプト脱出に至ります。

ノアの方舟の話

ノアの方舟の話

ノアの方舟は聖書を読んだことがない人でも耳にすることのある話だと思います。大洪水の予言を受けたノアが 方舟をつくって家族と動物を救ったという話です。(旧約聖書創世記6/11 - 7/22)さてこの話の続きに、不可解な話が出てきます。

「さて、ノアは農夫となり、葡萄畑を作った。ある時、ノアは葡萄酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。」(創世記9/20, 21)

このように前後不覚に寝ている、全裸の父親を見たノアの末息子ハムは面白がってあるいは恥ずべきものとして二人の兄達にそれを告げる。二人の兄達セムとヤフェトは、後ろ向きに歩いて行き、顔を背けたまま着物で父の裸を覆ったという。そしてノアは激怒し、末息子ハムの子供カナンを呪う。

「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」(創世記9/25)カナンはハムの息子ですが、どうしてハムの行為がそれほど大きな問題になったのでしょうか。この話は何を言わんとしているのでしょうか。

一説にはノアの息子3人がノアから出た諸氏族として全世界に広がったとあります。ノアの長男のセム系の子孫がイスラエルの民として、アブラハムなどを出して、聖書の当事者になりました。父親ノアの裸を見て恥ずかしく思ったハム系の子孫はエジプトやアッシリ ヤ、カナン、シドン、アモリ人など、イスラエル周辺の重要な近隣諸国民になりました。もう一人の兄弟、ヤフェトの子孫は、ゴメルとかマゴクとか遠くの北方民族の国民となりました。この話が編集された当時の背景には、イスラエル民族の苦難期、補囚期で、亡国の民でしたが、全世界の人々はイスラエルと同じ祖先から出たのだという、国際意識を持つことにより、自己の民族してのアイディンティを確認したかったからだと言います。

黒人奴隷の時代には黒人をカナンの子孫であるとして奴隷制度の正当化にこの話が使われたこともあるそうです。

また裸のとらえ方がこの話の鍵であるという考えもあります。旧約聖書では男性の隠し所を非常に重要な場所としています。

「あなたは階段によってわたしの祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所が、その上にあらわれることのないようにするためである。」(出エジプト記 20/26)

「二人の人が互いに争うときに、そのひとりの妻が、打つ者の手から夫を救おうとして近づき、手を伸べて、その人の隠し所をつかまえるならば、その女の手を切り落さなければならない。」(申命記25/11,12)

結婚の過程をヘブライ語でキドゥシンと言います。神聖、あるいは聖化という意味です。結婚という儀式を通し、夫婦が一つとなり健全な子孫を産み増やしていく場に神が祝福を与えるというのです。男女の愛は神聖なものであるべきだというのです。旧約聖書の最初に人類の最初の夫婦であるアダムとエバは禁断の木の実 を取って食べる前には裸であっても恥かしくなく純粋であったが、取って食べた後には裸を恥じるようになったとあります。

以上から裸を興味本位に扱うことに対する戒めとしてこの話を考えることもできます。人間の裸、特に生殖器は本来神聖なものであり、興味本位に扱われたりやいたずらに卑猥なものとされるべきものではなかったのかもしれません。

バベルの塔

バベルの塔

旧約聖書の創世記に本来一つであった言語がいくつもの言語に散らされたとの記述があります。

『さあ町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。・・・』主は下って、人の子たちの建てる町と塔を見て、言われた、『彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう。』これによってその町の名はバベルと呼ばれた。

バベルの塔は昔、バビル2世というアニメに出てきたのを思い起こす方もいるでしょう。バベルの塔は旧約聖書に登場しています。

バベルの塔は実際にジッグラートという名で存在したそうです。チグリス・ユーフラテス川周辺に22のジッグラート遺構が発見されているといい、高さ90m、7階建てで最上階には神殿があったそうです。そして各階が曜日の始まりといわれています。1階が土星、2階が木星、3階が火星、4階が太陽、5階が金星、6階が水星、7階が月です。

このバベルの塔の崩壊の話には次のような解釈があります。
『当時のバビロンの都市批判が込められていて、偶像崇拝をもたらすこのような豊穰な沃地文化の否定が込められている。そのバビロン(カルディアのウル)から脱出したのが、アブラハムの先祖である。イスラエルの山地・砂漠文化に対して、エジプトを始めとする低地の豊穣な都市文化は、バールなどの異教神が支配する堕落した文化として、拒否反応が強い。この都市文明との戦い或いは受容が旧約の歴史ともいえる。モーセによる出エジプトもそのあらわれである。バベルの塔で、創世記の前半の全人類的な原初の神話的物語が終わり、散らされた全部族の中で、イスラエル部族が選ばれ、バビロンからカナンの地への移住と召命をテーマとする族長物語に入る。』

今日インターネットの発達により英語の世界標準語としての役割が更に大きくなってきていますが、世界の人々が互いに自由に言葉が通じ合うようになるでしょうか。自らの民族が一番であるといったような民族主義がなくなるでしょうか。バベルの塔の話の反対が起こることが願われます。

割礼

割礼

ユダヤ人としての重要なアイデンティティである割礼とは生まれて8日目に男児の生殖器の前部の皮を切り取ることです。イスラム教の国の一部では女児にもほどこすそうですが、これは人権団体による抗議の対象となっています。というのも傷みを男児以上に伴い、将来の夫婦生活にも支障をきたすことがあるそうです。たまに医師の資格をもたない理髪師が女児に割礼をほどこして、女児が死亡するというような話も聞ききます。

男児への割礼は米国でも広く行なわれており、病院では男児出産前に割礼をほどこすかどうかの質問を行います。一般に行われる割礼(Circumcision)は包皮の内側に溜まってくる恥垢に細菌が繁殖しておこる炎症などを避けるという医学的な意味で行われています。

ユダヤ教では旧約聖書に基づき男児にのみ行っています。ラビ(ユダヤ教指導者)の立合いのもと行なわれます。旧約聖書から見た割礼の意義としては以下のようなことが考えられます。

旧約聖書創世記第三章にエデンの園で蛇の誘惑によってアダムとイブが禁断の木の実を取って食べて、エデンの園を追われたというの話があります。創世記三章は当時パレスチナの地に住んでいたカナン人たちの「多産信仰」に対する反駁としての意味を持つと考えられます。カナン人たちは性行為を行うことが神を崇拝する一つの方法であると考え、その行為が宇宙の多産、肥沃、豊饒をもたらすものと信じていました。

創世記第三章の物語にみられる性的な要素

 1)禁断の実とは媚薬の性質を持ったものを指すこともありえた。
 2)いちじくの葉は性的な宗教の乱行と関連したものであった。
 3)アダムとエバは、肉体的恥ずかしさに打ち負かされて、下部を覆った。
 4)罪に対する罰は妊娠と出産の苦痛に関連している。
 5)生殖の神、蛇がそこにいた。

蛇がエバに与えた誘惑の言葉は神のように賢明になるというものでした。知るという動詞はヘブライ語で「ヨダ」といい、聖書では度々性交を意味する言葉として使われています。

創4/1「人はその妻エバを知った。」 
創19/5「われわれは彼を知るであろう。」

カナン人が行っていた多産信仰とは多産の女神であるアシラとその相手であるバアル神を崇拝する信仰のことです。バアル神とアシラ女神の性交によって肥沃、豊饒、多産をもたらす力が与えられるというもので、多産の活動は神殿における売春という一つの儀式によっていっそう刺激されるものと信じられていました。申命記23/17,18をみると神殿娼婦、男娼たちは売春を行ってお金を稼ぐことにより、神々への献身ぶりを示しました。エジプトで出土した飾り板に両手に蛇を持っているアシラ女神が描かれているものがあり、蛇とアシラ女神とは深い関連があります。

ユダヤの人々は多産信仰によってバアル神やアシラ神を崇める人々はいかなる者であっても罪を犯していると認識していました。預言者のイザヤやエレミヤは、いつも肉的性欲を淫行として糾弾していました。

割礼は淫乱を犯しているカナン人と自分たちを区別し、性に関わる部分を切ることで性を聖別し、神の選民の血統であるとの証としたと考えることができます。

2023年12月14日木曜日

真の自由、本心の自由

Triangle Family教会の説教日本語訳 ー 真の自由、本心の自由2023年2月19日 原文説教

おはようございます。今日は、真の自由、すなわち本心の自由についてお話ししたいと思います。誰もが自由を求め、幸いにも私たちは自由の国に住んでいます。アメリカでは自由が保証されています。他のどの国よりも簡単に自由を手に入れることができます。しかし、精神的な幸福も含めて幸福を追求する機会を与えてくれる真の自由を見つける必要があります。原理は、アダムとエバが堕落して本心の自由を失ったと述べています。まず、自由に関する聖書の箇所を読んでみましょう。
ヨハネによる福音書8章32節 真理はあなたたちを自由にする。 ガラテヤ5:1 キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。 ガラテヤ5:13 この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。 2コリント3:17 主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。 聖書は、真理、キリスト、他者への奉仕、そして神が自由を見出す鍵だと教えています。 規則や規制は自由のためにあるのでしょうか、それともその反対でしょうか?規則や規制と聞いて、あなたはまず何を思い浮かべるでしょうか?不自由でしょうか?自由の定義に妨げや束縛を受けることなく、好きなように行動したり、話したり、考えたりする権利とあります。 この自由の定義からすると、規則や規制は自由に反するもののように思えます。 家庭や教会は通常、子供たちに何をすべきか、何をすべきでないか指導します。家庭や教会は規則や規制を与えるのです。 日本のメディアは最近、宗教や宗教を信じる親が子どもを支配し、自由を侵害していると報じています。それは本当でしょうか? 自由の定義が「自分のしたいことをすること」であるならば、そうかもしれません。若者は家庭や教会から離れると自由だと感じるかもしれません。大学に行くと子供たちは自由を感じます。ナッシュビルに本拠を置くライフウェイ・リサーチの2019年の新しい調査によると、10代の頃に少なくとも1年間プロテスタントの教会に定期的に通っていたアメリカの若者の3分の2が、18歳から22歳までの間に少なくとも1年間は教会から遠ざかったと答えています。 これはコロナ禍以前の調査です。この割合はコロナ禍後により高くなっているかもしれません。 真の自由とは何か、そしてルールや規則が真の自由に到達するためにどのように役立つのかを考えてみましょう。 真の自由はどこから来るのか?人間に自由を授けたのは神です。 原理から見た真の自由の意味において、自由には、原理に定められた責任が伴うとあります。 真の自由の目的において、自由は、私たちが神の創造本性を受け継ぎ、神の偉大な創造の業に参加することを可能にするとあります。 自由と責任は密接に関連しているのです。この「自由と責任は密接に関連する」という言葉は、単なる宗教的概念ではなく、一般的な概念です。規則や規制は通常、私たちが責任を持つのを助けたり、無責任な行動を取るのを防いだりします。車の運転は、自由と責任が密接に関連することを説明する良い例です。規則に従うことは、運転の自由を守るために極めて重要です。車を運転できると移動の自由が得られます。アメリカの高校生たちは、運転免許を取得し、どこへでも行ける自由を手に入れ、友達に会うことを熱望します。しかし、運転免許を取得するためには、多くのことを果たさなければなりません。運転免許を失う方法はいくらでもあります。どれも無責任な行動と関連しています。運転する自由と安全に運転する責任は密接な関係にあります。 次に、愛に対する自由と責任という話題に移りましょう。これは私たちの教会が青少年に対して抱いている最大の関心事です。 自由恋愛・恋愛結婚 vs 絶対愛・神中心の結婚 自由恋愛・恋愛結婚と聞くと、自由で自然でのびのびとした愛を経験できそうな感じがします。絶対的な愛と神中心の結婚と聞いて何を思い浮かべますか?不自然で、強制されたものというイメージでしょうか。 伝統的な結婚は、どちらかというと神中心の結婚に近いのです。「自由恋愛」「恋愛結婚」という概念が最近出てきたのです。自由恋愛は、あらゆる形の愛を受け入れる社会運動です。この運動の当初の目的は、結婚、避妊、不倫といった性的・恋愛的な問題から国家を切り離すことでした。そのような問題は当事者たちの問題であり、他の誰の問題でもないとしたのです。この運動は19世紀ごろに始まり、60年代にはヒッピーたちによって推進されました。 恋愛結婚とは、お見合い結婚とは対照的に、両親の同意の有無にかかわらず、当事者が主導する結婚のことです。 人々は恋愛や結婚に自由を求めます。しかし、自由恋愛と恋愛結婚は人々に恋愛と結婚の自由を与えたのでしょうか? 日本の統計によれば、お見合い結婚が減るにつれて、結婚しない人が増えています。私はアメリカに来て、レストランで苦労しました。 男性の25%、女性の20%弱が生涯結婚しないと言います。 日本人は選択肢が多すぎることを嫌うのかもしれない。私はアメリカに来て、レストランで苦労しました。なぜかわかりますか?レストランに行くと、ウェイターやウェイトレスがやってきて、どう料理するか、どんな料理がいいか、どんなおかずがいいかとかいろいろ聞いてきます。彼らは多くの選択肢を与えてくれるのです。アメリカに来て、最初はよく知らないし食べたこともない料理がありました。シェフはプロです。彼らは私より食べ物に詳しいです。私は心の中で、私に料理のことを聞いてくれるなと思いました。 絶対的な愛と神中心の結婚は、愛の自由を享受し、結婚するために何が必要かを理解すれば、完全に理にかなっているのです。 キリスト教、仏教、そして真の父母様が教える愛とは何かを確認してみましょう。 キリスト教における愛 第一に、愛は感情ではなく行動です。 私たちに対する神の愛のために、神は私たちのために選択し、行動されました。 例えば 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 第二に、愛は犠牲的なものです。わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。 イエスは愛が犠牲的なものであることを示されたのです。 第三に、愛には自制力が必要です。愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 次のページ 仏教における愛 仏教では、真の愛には4つの要素があると説きます。 1. 幸福を提供する能力 2. 慈悲(自分と相手の苦しみを変えるエネルギー) 3. 喜び 4. 無執着 難しい概念です。相手のことを理解し、本当に愛したければ、私たちは「相手の立場に立ち」、相手と一体にならなければならないのです。そうなれば、自分も他者も存在しなくなるのです。 私はこの言葉が好きです。「好き」と「愛している」の違いは何でしょうか?お釈迦様が見事に答えられています。 花が好きなときはただ摘むだけだが、花を愛するときは毎日水をやる。これがわかれば、人生がわかる。愛は深く複雑で。完全な成熟を必要とします。車の運転とは比べものになりません。しかし、多くの若者は、ただ飛び込んで、恋に落ちてしまうのです。 真の父母様の御言葉にある愛 「原理から見た摂理的な救援歴史」という講話からです。 愛の理想によれば、動物界と植物界のすべての愛の関係は生殖のためだけである。人間は唯一の例外である。人類は愛の夫婦関係において自由を享受しており、これはすべての被造物の主である人類の特別な特権である。 神はご自分の息子や娘たちに愛の祝福と無限の喜びを与えた。 しかし、神が許された真の自由は、人間の責任を必要とする。 人間の愛の最高の理想を達成することは、人が愛に対して責任を負うときにのみ可能となる。 愛の自由と愛に対する責任は密接な関係にあるのです。 神は自由と責任が働くところにのみ存在しうるのです。愛、自由、責任は切り離せないのです。神はアダムとエバに対する愛のゆえに、アダムとエバに自由意志と戒めを守り、愛の自由を享受するために完全に成熟する責任を与えるしかなかったのです。私たちはこのことを忘れてはならないのです。神からの規則や規定は、神の愛から出てきたものなのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 イエスは、最大の戒めは、心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして神を愛することであると教えられました。 真の父母様は、私たちに絶対信仰、絶対愛、絶対服従を教えられました。 誰が最初に絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践したのでしょうか。 神です。 神はアダムとエバが誘惑と試練に直面することを知っておられたので、純潔を保つように戒められたのです。 神はアダムとエバに対する絶対的な愛のゆえに、アダムとエバが自由意志で正しい選択をすることを絶対的に信じていたのです。 アダムとエバは心情的に神と断絶し、堕落し、本心の真の自由を失ったのです。私たちは、神の心情と再びつながることによって、神の愛の中に真の自由を見出すことができるのです。 最後に、Netflixのスクルージの挿入歌「Later Never Comes」を聴いてみましょう。私たちに必要なのは神なのに、神以外のものを求める人々に対する神の心情を感じました。イスラエルが他の神々に従ったり、戒めを破ったりして神に不誠実であったために、神が苦しまれたことを記した旧約聖書のホセア書のようです。
「後で」は決してやってこない 私たちが初めて出会ったとき あなたの心は自由だった あなたの希望に満ちた目は 私だけを見た 今、あなたは何かを探している 私が決してなれないものを あなたが本当に私に必要な全てだった時 あなたは「後で」と言い続ける でも「後で」は決してやってこない 「後で」なんて言わないで 見つからないものを探すように 私の手を取って 私と一緒に自由に飛び立とう もう「後で」なんて言わないで、それが嘘だって二人ともわかってるんだから。 この日が私がさよならという日にならないように さようなら あなたが彼女と出会ったとき あなたは自由になった 彼女の愛は 明白だった あなたは何かを探し続けた 安心の手段を でも本当に必要なのは彼女だった
君は彼女に「後で」と言い続けた でも「後で」は来ない 彼女に「後で」と言うのをやめてくれ 見つからないものを探すのはやめて 彼女の手を取って 彼女と一緒に行けば、自由に飛べる もう「後で」はいらない、それが嘘だと僕たちは知っている 今日が彼女がさようならを言う日になる もちろん、神が私たちに別れを告げることはありません。しかし、私たちに必要なのは神であることを忘れてはなりません。私たちに必要なのは神の愛だけです。私たちは神の愛の中に真の自由を見出すのです。 お祈りしましょう。今日一日、ここに集い、天の父母様をお慕い申し上げる機会を与えて下さり、誠にありがとうございます。天の父母様、この世界は私たちに多くの自由、多くの選択肢を教えてくれます。この頃、社会は私たちに、責任を果たさず、創造の目的を果たさず、天の父母様と一体にならない自由を与えています。価値観が混乱しているのです。若者が混乱しているとき、学校は多くの選択肢、多くの自由を教えています。しかし学校は、私たちの幸福の源である本来の心、究極の幸福を教えていません。私たちに必要なのは、天の父母様に到達し、天の父母様の心情とつながり、あなたの愛と一つになることです。それが本心の自由を通して真の自由を得る道です。特に若い人たちが真の自由を選択し、天の父母様の愛につながることができるように導いてください。貴重な兄弟姉妹との時間をありがとうございました。真の父母様は私たちに真理を与え、真の自由を見出す道を与え、自由にしてくださいました。ここに集まった兄弟姉妹の名において、すべてのことを報告します。

2023年12月12日火曜日

当事者意識(オーナーシップマインド)

Triangle Family教会の説教日本語訳 ー 当事者意識(オーナーシップマインド)2023年6月18日 原文説教

兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。タラントンンのたとえ話を読みたいと思います。新約聖書のマタイによる福音書25章からです。タレント(タラントンは英語の聖書では「Talent」となっています)には2つの意味があります。一つは、ご存知のように才能です。もうひとつは通貨単位です。このたとえ話におけるタラントンの文字通りの意味は、通貨単位です。しかし、このたとえは、神から与えられた才能を暗示しています。読んでみましょう。 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。 さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。 29だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 このたとえ話は何を教えているのでしょう? このたとえ話は、自由市場資本主義を示しているのでしょう? 「金持ちはより金持ちになり、貧乏人はより貧乏になる。」 イエス様は資本主義者だったのでしょうか? イエス様は、天の御国は自由市場の資本主義の世界のようなものだと言われたのでしょうか? このたとえ話によって、イエス様は資本主義者だったと言う人もいます。ご存知のように、イエス様は社会主義者だと考える人も多いです。イエス様が資本主義者であったか社会主義者であったかは、今日の話題ではありません。その議論は脇に置いておきます。 今日は、当事者意識と被害者意識という2種類のマインドセット(思考・行動パターン)についてお話したいと思います。 最初の二人のしもべは、主人からもらったタラントンで、もっと善のためにできることはないかと考え、行動しました。 一方、最後の一人は、自分がもらったタラントンの意味を考えず、何も行動を起こしませんでした。主人を恨んでいたかもしれない。他の2人のしもべが5タラントンと2タラントンと、自分よりはるかに多くのタラントンを受け取っているのと比べて、人生は不公平だと感じていたかもしれません。 「銀のスプーンをくわえて生まれてきた」という英語の慣用句があります。非常に裕福な家庭に生まれ、恵まれた環境で育つことを意味します。同じような表現は韓国や日本にもあります。 韓国では수저계급론(スプーン階級説)。日本では親ガチャです。 これらの表現は通常、不平不満をこめて使われることが多いです。これらの表現の背後にどのようなマインドセットが見られるでしょうか。 それは被害者意識です。人生は不公平で、私の人生は私の境遇に左右されると言っているのです。私たちの思考は被害者意識に向かいがちですが、どうしてでしょうか? 私たちの祖先に遡って考えてみましょう。被害者意識は人類始祖から始まっています。創世記3章12-13節に、アダムとエバが堕落した後の言い訳が描かれています。 アダムは答えた。 「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」 13主なる神は女に向かって言われた。 「何ということをしたのか。」 女は答えた。 「蛇がだましたので、食べてしまいました。」 アダムは「私が堕落したのは、神とエバのせいです。私は被害者です。」と言ったのです。 エバも「私はルシファーのせいで堕落しました。私は被害者です。」と言ったのです。 創世記4:4-5。 主はアベルとその献げ物に目を留められたが、 5カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。 アダムとエバの長男のカインもまた、神が自分の捧げ物を受け取られなかったとき、犠牲者意識に陥ったのです。 私たちはしばしば、被害者意識に陥る困難に直面します。聖書に登場するヨブは、そのような困難に直面した一例です。 ヨブは義人であり、常に善行を行い、徳と富を持ち、名誉ある人物として皆から賞賛されていました。ところがある日、ヨブの状況は一変しました。親友に裏切られ、災害で財産を失い、家族全員が死んだのでした。この世の苦しみを味わったヨブは、「私は何も悪いことはしていない。立派な人間として生きようと毎日努力している。でも、なぜこんな目に遭わなければならないのだろう?」と。 絶望の淵で、ヨブは神に祈りました。「もうこれ以上生きられません。死なせて下さい。」その時、彼は "ヨブよ!"と呼ぶ神の声を聞きました。ヨブは注意深く耳を傾け、「お前ははこれまでよくやった。」と神が慰めてくれることを期待ました。神の声ははっきりと聞こえました。 「男らしく、腰に帯をせよ。」 ヨブ記38章3節 神が彼に与えた言葉はこれだけでした。 しかし、この言葉によって、ヨブはまっすぐに立ち上がりました。彼は、人生は神の恵みであり、人間が作り出せるものではないと悟ったのでした。ヨブは背筋を伸ばし、神を見つめて歩むことを決意し、恵みを受ける者としてふさわしく生きることができるようになったのです。 神はヨブに自分の人生に対する当事者意識を引き出されたのです。 私たちが人生で困難に直面し、ヨブのような被害者意識に陥りそうになったとき、何を思い起こす必要があるのでしょうか。 神は当事者意識の源です。原理講論には「人間の堕落は人間自身の過ちの結果である。しかし、神にも創造主としての責任がある。神は、人間の過ちの結果を、堕落前の元の状態に回復する必要に迫られている。神はあらゆる手段を使って、悲しみに満ちたこの罪の世界を救われる。」とあります。 私が初めて原理講論を学び、人間の苦しみに誰かが責任を負うと知ったとき、私は安堵と希望を感じました。 当事者意識は、究極的には天の父母様のマインドセットです。「ひとり子」「ひとり娘」「真の父母」とは何を意味するのでしょうか。 イエス様と真の父母様は、天の父母様と同じように、すべての人類に対する当事者意識を持っておられます。全人類の罪の責任を負われたのです。 イエス様と真の父母が当事者意識を持って責任を負われた例です。 パームサンデー(エルサレム入城の日)はイースターの前の日曜日です。イエス様は裁判にかけられ、十字架にかけられることを承知でエルサレムの町に入られました。もしイエス様がエルサレムに戻らなければ、十字架にかからなかったかもしれません。しかし、イエス様は全人類の罪に対する当事者意識で責任を取るためにエルサレムに行かれたのです。 真のお父様は6回も牢獄に入られました。避けることもできましたが、全人類を救うために当事者意識で責任を負われたのです。 真のお母様の決意。真のお父様が昇天された直後のメッセージです。「お父様が聖和された瞬間、私はお父様に、お父様が人類のためにしたいと願われたすべてのことを、私の地上での最後の日までに成就しますと約束しました。」 真のお母様のメッセージ 2012年9月23日、私たちは今、統一教会を生きた教会にします。 ある人は、「ひとり子」「ひとり娘」「真の父母」という言葉は、その人を特別な存在、神のような存在にするために使われていると言うかもしれません。実際には、人類に対して全責任を負うという決意を意味する言葉なのです。 結論として、当事者意識を持つにはどうすればよいのでしょうか。まず、自分の持っている才能を振り返ることです。自分には特別な才能はないと思うかもしれません。しかしながら私たちの人生そのものが神からの贈り物なのです。神は私たちの命を与え、私たちの命は多くの犠牲の上に成り立っているのです。あなたが生まれてきたのは、お母さんの犠牲のおかげです。母親は9カ月間、赤ちゃんをお腹に抱えます。その犠牲がなければ、あなたは生まれてくることができなかったのです。 次のポイントは、自分が受けた才能の意味と目的を考えることです。 天の父母様のように考え、その才能を公共のために使うのです。人より多くの才能を持って生まれた者は、それを世のため人のために使うことを求められるのです。その才能を私利私欲のために使ってはならないのです。 自分の才能を公共のために使えば、私たちは自分の才能の所有者になるのです。 天一国の主人になりましょう!家族盟誓は、一から八まですべて「天一国主人私たちの家庭」で始まります。私たちは天一国の主人になることを願われているのです。私たちができる小さな一歩は、Triangle Family 教会の主人として日曜礼拝に参加し、十分の一献金をすることです。特に若い人は、親が教会に来ているから仕方なく日曜礼拝に来ているかもしれません。しかし、最終的にはTriangle Family 教会の主人として日曜礼拝に来るべきです。あなたには7日間24時間の時間があります。もし、あなたが週に2~3時間でも時間を捧げるなら、神はあなたのすべての時間を祝福してくださるでしょう。 もしあなたが収入の1割を捧げるなら、神はあなたの収入のすべてを祝福してくださるでしょう。 祈りましょう。親愛なる天の父母様、本日はありがとうございます。私たちは、天の父母様を礼拝するためにここに集まりました。天の父母様は、私たちが天地創造の主人となることを期待しておられます。そのために私たちに責任を与え、その責任を果たし、天地創造の主人となり、天地創造を楽しむことを期待しておられます。残念ながら、アダムとエバはその責任を果たすことができず、被害者意識に陥ってしまいました。人類の歴史を通して、人々は被害者意識に陥りました。その後、イエス様と真の父母様がこの地上に来られ、私たちが主人になることを教えられました。私たちに主人になる模範を示してくださいました。全人類の罪の全責任を負われました。極限の苦しみを味わわれましたが、決して不平を言わず、あきらめず、責任を取り続けられました。私たちが責任の一部を負い、主人となり、神の創造物を完全に享受することを期待しておられるのです。天の父母様、それは簡単なことではありません。私たちは人生で多くの困難に直面します。しかし、私たちの人生は神から授かったものであることを思い出させて下さい。天の父母様からの授かりものなのです。困難を克服する力を持ち、天一国の主人とならせて下さい。天の父母様、ありがとうございます。ここに集いました祝福中心家庭の名において、すべてのことをご報告いたします。

甘受

Triangle Family教会の説教日本語訳 ー 甘受」2023年9月17日 原文説教

 今日は「甘受」についてお話ししたいと思います。甘受は、私の好きな日曜学校の聖書学習のひとつ、ヤコブの12人の息子の一人であるヨセフから学ぶことのできる教訓のひとつです。ヨセフは奴隷として兄たちにエジプトに売られましたが、最終的にはエジプトの首相になりました。ヨセフは奴隷であることを受け入れ、ただ主人のために働きました。冤罪で牢獄に入れられた時も、状況を受け入れて懸命に働きました。甘受を通して神はヨセフのうちに力ある御業を示されたのです。

聖書を読みましょう。ヨハネの福音書9章からです。

イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。

弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。

イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。

わたしは、この世にいる間は、世の光である」。

イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、

「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。

甘受とは何でしょうか?人間心理学における甘受とは、人がある状況の現実に同意することであり、それを変えようとしたり抗議したりすることなく、すでに起こっているプロセスや状態(多くの場合、否定的な状況や不快な状況)を認識することです。

甘受は弱さやいいなりになることの現れでしょうか?

答えは否だと思います。しかし人によっては、そのとおりだと思うかもしれません。信仰生活にとってもう一つ重要な要素は「赦し」である。甘受と赦しはしばしば弱さの現れとみなされる。今日は「甘受」に焦点を当てます。私たちは、周囲の人々や環境が思い通りに動き、すべてが良い方向に向かっているとき、幸せだと感じるものです。しかし現実には、私たちをイライラさせ、「なぜこんなことが起こるのだろう?」と思わされるような障害がたくさんあります。

不愉快な状況に直面したとき、私たちは通常どのように反応するでしょうか?

受け入れるか、抵抗するか、避けるか、変えようとするでしょうか。

私たちは、自分に有利なことは良いことで、自分に不利なことは悪いことだと考えがちです。だから私たちは通常、不快な状況に抵抗したり、避けたり、変えようとしたりします。

甘受は、むしろ仏教の概念に近いと思います。甘受に関する仏教の教えを見てみましょう。仏教では、4つの普遍的な苦しみがあると教えています。 

生、病、老、死です。

そして、苦しみには何らかの意味があり、苦しみを終わらせる道があると説いています。

善悪、損得、勝ち負けといった自分の視点だけでは、事態の全体像は見えてきません。

浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と唱えることを教えています。

「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏に帰依するという意味です。

高次の存在を信頼して受け入れることで、私たちは異なる視点から物事を見ることができるようになるのです。

次に、心理療法と神経科学の観点から甘受を見てみましょう。

甘受(アクセプタンス)を重視する心理療法があります。アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)と呼ばれるものです。ACTは心理療法の一種で、ネガティブな考えや感情、状況に対処する際に、それらを変えようとしたり避けようとしたりするのではなく、受け入れることによって対処するように導きます。

ACTは、変化する状況や感情に適応する能力が精神的な幸福に不可欠であるという考えに基づいています。

甘受の重要性は、以下の「平穏の祈り」の中で長い間認識されてきました。

「神よ、変えられないものを受け入れる平静と、変えられるものを変える勇気と、その違いを知る知恵をお与えください。」

受け入れることにより、私たちの人生のポジティブな側面に焦点を当て、私たちが持っているもの、私たちにできることに感謝することができるようになります。

甘受の利点には次のようなものがあります。

怒り、悲しみ、恐れ、罪悪感など、ネガティブな感情を抑えることができます。

失敗から学び、コントロールできることに集中することで、挫折や困難から立ち直る回復力と能力が高まります。

足りないものにくよくよするよりも、今あるものに感謝し、感謝する気持ちを高めます。

ポジティブな思考が生まれると、脳はセロトニンを生成し、幸福感を生み出します。セロトニンレベルが正常であれば、人は幸福感を感じ、落ち着き、不安が減り、集中力が増し、情緒が安定します。

最後に、若い聴衆にメッセージを送ります。体内でポジティブな感情や幸福感を生み出す「幸せホルモン」と呼ばれるホルモン群があります。

セロトニンは4つの「幸せホルモン」のうちのひとつで、その基礎となるホルモンです。セロトニンは第一祝福、すなわち心身の一体化をもたらします。オキシトシンは第二祝福をもたらします。愛情ホルモンと呼ばれています。ドーパミンとエンドルフィンは第三祝福をもたらします。ドーパミンは、人が快楽的な活動をするときに放出され、中毒を引き起こす可能性があります。

ドーパミンが大量に分泌されると、競争的、攻撃的、衝動的な行動をとるようになります。また、不安や睡眠障害、ストレスを引き起こすこともあります。

一般的に若者の脳にはドーパミンが多いと思います。若者が衝動的な行動をとるのと関係があると思います。アダムとエバも堕落する前はドーパミン過多であったと思います。若者は学問的な達成やキャリアを求めたり、永遠の配偶者を探したりしますが、ドーパミン型のアプローチで行動しがちです。自分自身に焦点を当てているのです。

若者の特徴と教訓を示す孫悟空の物語を紹介したいと思います。 

孫悟空は16世紀の中国の小説『西遊記』の主人公の一人としてよく知られています。

孫悟空は多くの能力を持っていましたが、同時に多くの問題を起こしました。

孫悟空は傲慢でしたた。自分は何でも知っている、何でもできる、仏陀のような高次の存在は必要ないと考えていました。若者の特徴に似ていると思いませんか?私が大学に行った時もそうでした。幸い、私は真の父母様と出会い、自らの立ち位置を見つけました。お釈迦様は孫悟空に特別な使命があることを知っておられました。だからお釈迦様は孫悟空にまずやりたいことをさせて、それから自分の立ち位置を悟らせたのです。

ある日、お釈迦様は孫悟空に手のひらから逃げられるかどうかと試しました。

孫悟空はその勝負を受け入れました。孫悟空は宇宙の果てまで飛んでいきました。そこに5本の柱がそびえ立つだけで、何もないのを見て、宇宙の果てに到達したと思いました。その証明に、彼は柱に「斉天大聖」と記しました。そして、仏陀のもとに戻り、勝負に勝った主張しました。しかし5本の「柱」が仏陀の手の指であったことを悟るのでした。

その後、孫悟空は唐の時代の仏教僧がインドに渡り、仏教の聖典を手に入れるのを助けることになったのです。

この社会は若者にドーパミン型のアプローチを教えています。

真の父母様の教えはその反対で、セロトニンタイプです。

  • 天宙を主管する前に自己主管。
  • 動機づけを無私に浄化する。
  • 最大限の努力をし、結果を待ち、結果を神の御業として受け入れる。

これらは、私が真の父母の御言葉と経済復帰活動の経験から学んだ教訓です。私は経済復帰活動をするとき、企業がするように目標を立てました。今日はこれだけ稼ごうとです。しかし数字にこだわるとうまくいきません。断られることが多かったです。逆に、与えられた地域の人々に奉仕するという目的に集中すれば、うまくいきました。経済復帰活動は、自分の動機を振り返り、浄化するための訓練でした。 「最大限の努力をし、結果を待ち、結果を神の御業として受け入れる」という姿勢は、人生のさまざまな場面で応用できます。

経済復帰活動の際、私たちは何度も否定されるものです。当時は商品を買ってくれた人に感謝し、買ってくれなかった人は嫌だと思いました。しかし、振り返ってみると、どちらが私たちをより成長させてくれたでしょうか?それは否定した買ってくれなかった人たちです。動機を反省させてくれたからです。そう考えると、否定した人たちにも感謝の気持ちが湧いてくるようになります。

私たちは神の手の中にあるというのが結論です。

自分自身に焦点を当てるドーパミン型のアプローチは、神の力ある御業を見えなくします。

受け入れることで、神の偉大な御業が見えるようになります。

私たちの動機を浄化し、「天一国遊記」の登場人物となりましょう。

お祈りしましょう。親愛なる天の父母様、ここに集い、天の父母様を礼拝し、自分自身を振り返り、天の父母様とつながる時を持てたことを感謝します。私たちは皆、あなたの手の中にいます。しかし、多くの場合、私たちはあなたの愛から逃れ、無視しようとします。特に若い人たちは、自分自身に多くの能力、野心、自信を持っています。天の父母様からの助けは必要ないと思っているかもしれません。しかし、天の父母様は、私たちがあなたの手の中にいることを受け入れた時、私たちは立ち位置を見つけることができるのです。天の父母様、私たちの人生の正しい立ち位置を見つけさせてください。私たちは天一国への旅路にあります。真のお母様が導いておられます。天の父母様、私たちは天一国への旅路に貢献するために最善を尽くしましょう。天の父母様、ありがとうございます。ここに集まった兄弟姉妹の名において、すべてのことを報告したいと思います。

2023年12月11日月曜日

アイデンティティの危機

Triangle Family教会の説教日本語訳 ー 「アイデンティティの危機」2023年12月10日 原文説教

今日のお話のテーマ「アイデンティティの危機」を選んだのは、私自身が自分が何者で、どこにいるのかを理解するのに葛藤しているからです。私は神との強い関係を持っているにもかかわらず、教会のポリティクスと呼ばれるものにも頻繁に苛立ちを感じています。教会の体制のことではありません。私は、統一教会がもはや適切でないと感じているメンバーのことを言っているのです。


私にとっては、統一教会はかつてないほど重要な存在であり、私たちの人生はアイデンティティの探求として、自分が誰なのか、自分がどこにふさわしいのか、自分が神と、そして互いにどのように関わっているのかを見極めようとしています。私は海辺で育ちました。私はミュージシャンです。南部の人です。私は神の息子です。私は神であるとさえ言えるかもしれません。ヨハネによる福音書4章12節によれば、誰も神を見たことはないが、もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちに住んでおられ、神の愛は私たちのうちに完成される。


私は白人です。私たちは皆、自分の人種を愛している。自分の人種を愛するのはいいことだが、他の人種を犠牲にしてまで自分の人種を愛することは、私たちにとっても、社会にとっても、神にとっても問題を引き起こします。人種差別によって引き起こされる暴力は、天の父母である神にとって大きな頭痛の種となっています。カインによるアベルの殺人のようなものです。カインによるアベルの殺人は何度も繰り返されますが、神はそれに対する解決策を持っています。神が真の父母様を遣わされたのは、子供たちが複数の人種を識別できるような混合家庭を作るためです。私たちは以前、日曜日は一週間で最も隔離された日だと言っていました。今では教会に来ると、すべての人種が一緒に礼拝しているのを目にします。シャロンが主催したUPFの集会は、まるで国連のようでした。私は2人のイスラム教徒、1人のバハーイー仏教徒、1人のヒンドゥー教徒、そして2人の統一教会信者と一緒のテーブルに座りました。世界平和のためにあなたの信仰が貢献できることは何かという問いで話し合いましたが、私たちの何人かは定年退職後の高齢者であるにもかかわらず、誰もが世界を良い場所にすることに心血を注いでいました。


お母様は回想録の中でこう語っておられます。

「一日の終わりに、私はもうすぐ80歳で、この世で生きられる期間には限りがあることを思い知らされます。しかし、私は独生女であり、平和の母なのですから、どこへでも行かなければなりません。80代であっても、人々が探しているのであれば、そこに行かなければなりません。」


神に呼ばれたのは私が21歳のときで、そのときは、私が生きている間に天の御国が地上に来ると本気で信じていました。しかし、年月が経ち、数十年が経つにつれて、私はそのインスピレーションを失っていきました。私たちは何をするためにここにいるのか、そのビジョンを失いました。本当の自分を忘れてしまったのです。私は6人の子供の父親です。家族は私にとって最大の喜びであり、それは誰にとっても同じことです。なぜなら、私は自分が愛されていることを知っているからです。子供の頃、自分が愛されていることを知っていればよかったと思います。


1954年、お父様は「世界基督教統一聖霊協会」と書かれた看板を描き、掲げられました。30年後、お父様はその看板を降ろし、世界平和統一家庭連合の旗を掲げられました。これは二つのことを示しています。第一に、世界平和は家庭という土台の上に成り立ちます。第二に、その家族を守るための共同体が必要だということです。最近、私たちはこの地域のために新しいことを始めました。ワシントンDCのアシール博士からアイデアをもらいました。


彼らは祈りのリストを作りました。私たちの教会に関係するすべての人をリストに入れたのです。1000人ほどの名前が挙がりました。彼らのために祈り始めたのです。それで、私もここでそれを始めました。リストには140人から150人ほどが載っています。このリストは、単に教会と関係があるという意味ではありません。祝福された子供たちを持つ祝福された家族について話しているのです。ローリーやトライアングル地域には祝福された子供たちがたくさんいます。その多さには驚かされます。来週、ここでクリスマス・パーティーが開かれると思います。たくさんの子どもたちが来ると思います。教会に来なくても、私たちが一緒にできることは何でも、私たちのコミュニティをより強固なものにするのです。


最近分かったことですが、私が教会に入った頃にここにいた初期の家庭の一つが離婚し、その子供たち3人がドイツに引っ越しましたが、一人の子供、ミッシェルはまだここにいます。私は彼女を祈りのリストに入れました。彼女はダーラムに住む祝福二世です。


もう何年も連絡を取っていませんが、私は彼女のために祈らなければならないと思っています。祝福家庭、祝福二世とは何でしょうか?私たちの教義によれば、祝福の血統は神からもたらされたもので、原罪とは何の関係もないのです。しかし私たちは神の血統とつながっているけれど、それが何を意味するのか、時々わからなくなります。もし私が子どもで、原罪がないと言われたら、わからないと答えるでしょう。


重要なのは、それがどういう意味であれ、私たちはアベルの立場に立っているということです。それが何を意味するのでしょうか?カインの世話をしなければならないということです。私たちを憎んでいる人、人生に苦しんでいる人、私たちはそのような人たちを見つけ、面倒を見なければなりません。神は私たちに、神の失われた子供たちの世話をするようにと呼びかけておられます。それはヨナを思い起こさせます。


ヨナに何が起こりましたか?神は彼をニネベに遣わし、そこで宣教させました。しかし彼は逃げようとしました。彼は船に乗って逃げ出しました。神には見つからないだろうと思ったのです。その時、嵐が来て、船員たちは命を失うことを恐れました。ヨナは言いました。神は私に怒っています。あなたたちを救うために、私を海に投げ込んでください。そこで彼らは彼を海に投げ込みましたが、神はクジラを遣わされました。ヨナは生き延びることができ、クジラは彼を乾いた陸に吐き出しました。そしてヨナは神の声に従うことを決意しました。


ダベッタはダラムに2年間住んでいました。彼女の住居はここから5マイルも離れていませんでした。彼女はすぐそこにいたのです。私たちは彼女がそこにいたことを知りませんでした。今、彼女を見てごらん。彼女は州のリーダーです。ここでの結論は、あなたが経験していることが何であれ、一人で経験する必要はないということです。ここには美しい信仰のコミュニティがあります。私たちはお互いのためにここにいるのです。就職活動中の祝福二世たちから、推薦状を頼まれたこともあります。真の父母様を信じるなら、私たちはこの共同体の一員です。真の父母様に祝福されたなら、私たちの仲間です。神を礼拝する方法は一つではありません。誰もがそれぞれの方法で神を礼拝します。確かに私はティムと同じ礼拝の仕方ではありません。しかし、私たちはお互いの神への行き方を尊重し、自分の良心に忠実でありたいのです。もしあなたが先に天国に行ったら、私を引き上げてください。私が先に行ったら、あなたを引き上げてあげます。私と一緒に祈りを捧げてください。


親愛なる天の親、


今朝、私たちは家族、共同体、信仰、そして私たちがあなたと関わり、互いに関わろうと努力するあらゆる方法について話してきました。私たちはただ、あなたが私たちをとても愛してくださっていることを知っています。

私たちに対するあなたの忍耐は、私たちの自分の子供に対する忍耐や愛に似ています。あなたは私たちに多くのことを教えてくださいました。そして今、私たちは最後の1マイルを進み、私たちが始めたことをやり遂げることができるよう祈っています。この世界がゴミの巣窟になることを許さず、この世界を、昨日UPFのイベントで私たちが行ったように、あなたが本来思い描かれたように、すべての家族が共に暮らし、互いを思いやり、耳を傾け、厳しい言葉ではなく、柔らかい言葉で話すことによって、物事を解決していくことができるように。

毎日が新しい啓示です。私たちは毎日、私たちが人生で抱えているあらゆる問題を、あなたが導いてくださっていることを知っています。そのために、今日ここにいるすべての人に感謝しますし、教会に来ているかどうかにかかわらず、すべての祝福された夫婦と子供たちに感謝します。私たちはただ、一人ひとりがあなたにとってかけがえのない存在であることを強く感じています。ありがとうございます。祝福された中心家庭の名によって祈ります。


2023年12月6日水曜日

逆境と私たちの姿勢

Triangle Family教会の説教日本語訳 ー 逆境と私たちの姿勢」2023年12月3日 原文説教

今日は逆境と私たちの姿勢についてお話しします。その前に、皆さん一人ひとりが本当に尊い存在であることについて、少し触れておきたいと思います。

数年前、私は原理修練会のためにラスベガスに行く途中に化石の森国立公園に行きました。そこには、宇宙の始まりから終わりまで、創造にどれだけの時間がかかったかを示す人類の歴史年表がありました。その年表は全体を1年として表示されていました。宇宙の発展の中で地球が何十億年前に形成されたと言われています。宇宙の初めからを一年とすると、1秒でも非常に意味のある時間になります。人類が現れるのは一年の最後の10秒にしかなりません。人類が12月31日に登場するまでに費やしたすべての歴史と努力、そして何十億年という歳月は、神が自分の子どもたちのために費やした努力の量であり、あなたがたが神にとってどれほど大切な存在であるかを表しています。

自然は神の愛を表しています。神が何十億年という歳月をかけて努力した結果なのです。神は毎日あなたに会うのを楽しみにしていました。神が私たち一人ひとりにどれほどの努力と愛と期待をかけておられるかを考えてみてください。なぜなら、神の夢は宗教を形成することではなく、神を中心とした家族を形成することであり、神を中心として共に生きることであり、それは理想的な家族が祝福され、理想的な家族が国家や世界に存在することによってのみ達成されるものであり、そうでなければ神の夢は実現しないからです。そうでなければ、神の夢は実現しないのです。お父様の言葉によれば、神は礼拝や宗教の世界に興味があるのではなく、真の家族の世界を望んでおられ、そこでは誰もが神のもとに属し、心と愛において神を代表して神とひとつになるのです。私たちには、神と分かち合うはずのそのような関係があります。

私たちは人生で多くの葛藤を経験します。私も多くの葛藤を経験してきました。経済的なことであったり、感情的なことであったり、実にさまざまなことがあります。世界を見渡せば、不公正なことがたくさんあり、本当に腹が立ったりします。そのような状況の中で、私はどうすれば神のような人間になれるのだろうか?今の世界を見ることで、このような状況から自分を切り離すにはどうしたらいいのか。それが、「逆境と私たちの態度」を題目にお話しようとした理由です。

真のお父様は、敵に直面したときでさえ、素晴らしい態度を取られます。法廷で訴追された時、お父様は検察官の手を握りに行かれました。逆境や試練や苦難に直面したとき、私たち自身もそのような態度が必要です。

私は歴史を振り返り、アメリカの成り立ちと建国の父について考えました。建国の父たちが成し遂げたことには素晴らしいものがあります。彼らは逆境や苦難を乗り越え、国家を形成し、強大なイギリス軍と存亡をかけて戦いました。建国の父ジョージ・ワシントンは23歳という若さで、フレンチ・インディアン戦争中にエドワード・ブラドック将軍のもとに従軍しました。軍隊が森の中を行進中にフランスとインディアン軍に待ち伏せされ、激しい戦闘が勃発しました。戦闘によりブラドック将軍を含む900人以上が死亡しました。

後にワシントンは上着に4つのマスケット銃の弾痕を発見しました。上着に4発の銃弾が貫通し、2頭の馬が撃たれたにもかかわらず、ワシントンは逃げ延びることができました。

これはほんの一例に過ぎず、神の足跡がいかにアメリカに残されているか、そして神のアメリカに対する期待がいかに大きいかを示す話はたくさんあります。もうひとつ、驚くべき話をします。フランスから約800門の大砲が送られ、デューク提督の指揮の下、ルイバーグ・ノヴァ・スコシアを攻撃し、イギリスから領有権を主張しました。新世界をめぐるこの2つの大帝国間の争いにおいて、フランス軍はニューイングランドの海岸を攻撃し、ジョージアやカリブ海の島々まで南下する予定でした。これは、アメリカ植民地時代の東海岸に住む人々の心に大きな恐怖をもたらしました。イギリスの植民地には、大艦隊に対抗できるものは何もありませんでした。大西洋岸の町々は、正面から戦って勝つことなど望むべくもなかったし、自分たちの家を守ることもできなかった。フランス艦隊の来航の知らせは植民地住民の間に広まり、多くの人々が教会に集まりました。マサチューセッツ州ボストンのオールド・サウス集会場と呼ばれる教会で、彼らは神に助けと保護を祈っていました。サミュエル・アダムズもベンジャミン・フランクリンも、最終的にはこの清教徒が建てた教会員になりました。トーマス・プリンス牧師は説教壇に上がり、敵から救い出してくださるよう主に祈り求めました。主が右手を挙げ、フランス艦隊が航行しているところに強力な嵐を送ってくださるようにと。その日、大風が吹き荒れ、教会の窓を揺り動かしました。尖塔には誰もいなかったが、教会の鐘は二度鳴り響きました。牧師はすぐに両手を上げて、祈りが聞かれたと叫びました。やがて、オールド・サウス集会場でのその日の出来事は、この地域一帯に希望を与えました。フランス艦隊13,000人、大砲800門が嵐によりほぼすべて失われました。神の力と摂理によって脅威が去ったのです。

アメリカは神のモデル国家です。あなた方一人ひとりが、神が計画されたこの摂理の貴重な一部なのです。信仰生活の中で、神に祈っても必ずしも答えが返ってこないことが多いです。神が祈りを聞いていないと感じることもあります。お父様がスピーチでおっしゃったように、私たちは孤独だと感じることがあります。そのような時に私たちは自分の内面を見つめなければなりません。そして、今私が置かれているような状況で、お父様ならどうされるかと考えてみます。自分ではどうしようもないことは無数にあるかもしれないが、本当にコントロールできるのはそれに対する自分の反応だけです。私たちの態度はとても大切になります。

一見何の変哲もないように見えるあらゆる物事に霊的な意味を持たせる態度を養う必要があります。

私たちの概念を変える必要があります。私たちの態度は、霊的な助けを受けるために準備されなければなりません。お父様のみ言葉を使い、霊的な力を受け取るためのチャンネルを自分自身に作らなければなりません。どのようなものであれ、私たちはその中に高貴さを探し求め、あたかも真の父母様が直接所有されているかのように扱わなければなりません。私たちが自然界で目にするすべてのものは、神の手によって成形され、創造されたものです。水はすべて、私たちを生かし、養うために神により造られたものです。私たちが口にする食べ物には、正しい態度と正しい心があれば、聖なる意味があります。些細なことでさえ、違いを生み出すことができます。

世界は狂っているように思われるかもしれないが、もしあなたが正しい態度と正しい心を持っているなら、あなたの心は神の心と共鳴することができます。共鳴とは同じ周波数で振動することです。あなたの心が神と同じ周波数で振動すると、神との関係が深まり、インスピレーションに基づいて行動するようになります。あなたは神の心と状況を感じるようになります。

私たちはお互いを真の兄弟姉妹として受け入れ、神が私たちを見て愛してくださるように、本当に愛し合わなければなりません。それはとても重要なことで、私たちはお互いを裁いたりするためにここにいるのではなく、支え合い、愛し合い、私たち全員がより良い人間になるためにここにいるのです。祝福によって、2世が現れました。2世たちは、私たちよりもはるかに高い次元に行くことができます。世代を経ていくうちに地上から罪がなくなるのです。

真のお母様が以前おっしゃったのを聞いたことがありますが、私たちは、罪が存在しなかったことになるところまでいかなければならないのです。神は決して罪を思い出したくありません。

祈りはとても重要です。須藤先生は、祈りは私たちの魂の糧のようなものだと言われました。祈りの中でつながるとき、私たちは最も深く意味のある方法で神とつながることができます。私たちは今、奇跡的で信じられないようなことを求められているのですから、私たちだけではできません。祈りが必要になります。どのように神とつながるかについて祈ればいいです。それは一種の尊敬の生活にならなければなりません。どんな人であろうと、子どもであろうと、お年寄りには敬意を払い、自分の言葉を口にする前に3回よく考え、常に謙虚な姿勢で、自分の持っている最高のものを他の人と分かち合うのです。だからこそ、なコミュニティがとても重要なのです。私たちはただ日常生活を送るだけでなく、互いに助け合うためにここにいるのですから。

私たちには弱いところがありいますが、強いコミュニティがあれば乗り越えられます。本当に互いに愛し合うことで、神を私たちの心に、私たちの心を私たちの共同体に取り込むことができるのです。これが私の基本的なメッセージです。

ジョージ・ワシントンの部下たちのほとんどは、冬の寒さの中で靴さえ持っていませんでした。彼らは雪の中、裸足で行進していました。彼らは進み続けました。彼らは信じられないほどの信仰と神への愛を持っていました。私たちは神から逃げることはできません。神のために自分の人生を捧げたり、神の状況を助けるために何かをしようとしたりすることで、損をするかもしれないと思うかもしれないが、実際にはすべてを得ているのです。私たちは、永遠の命への準備としてこの人生を生きています。私たちは永遠の残りの人生を何百万年も生きることになるけれど、今ここで私たちがしていることはとても重要なことです。どれだけ互いに愛し合うことができるか、どれだけその愛を他の人々に示すことができるかです。

私は木曜日と金曜日にバラを売りに行きます。外に出たくないときもあります。寒くて、風が吹いて、雨が降っていることもあります。でも祈って出ていくと、神が働いてくださったように、私がしていることを励ましてくれる人に会うことがあります。私たちは影響力を持っているのです。私たちを取り巻く環境に影響を与え、私たちに対する人々の反応に影響を与えます。神は本当にあなたたちを愛しています。あなたたちは歴史上の人物です。神はあなた方を深く愛し、気にかけておられます。それが私のメッセージであり、これを神に捧げられることを願っています。

私はいつも、神が私を用いて、神が皆さんに伝えたいことを何でも届けられるよう祈っています。ありがとうございました。それでは祈りを捧げたいと思います。

親愛なる天の父母様、

私たちはここに集まりました。天の父母様、私たちはとても感謝しています。天の父母様、私たちは互いに神、原理があり、真の父母様がおられ、この祝福を他の人々と分かち合いたいという深い心と深い願いを持っています。天の父母様、私たちがこの時代に生きていることは驚くべきことです。天の父母様は、近い将来、人類が歩む方向全体を変えることができるのです。私たちは、平和の母として世界の光と希望の光である真のお母様が、すべての人種、すべての文化、すべての宗教を一つにすることを望んでおられることを天の父母様に祈ります。私たちは神の下にある家族です。ですから、私たち兄弟姉妹一人一人の才能と能力を活かしてくださるよう祈っています。私たちはあなたを支え、理想を支えることができるのです。天の父母様の願いは私たちが互いにあるべき喜びと愛の世界を創造することだけです。天の父母様、そしてあなたを中心にして、私たちは今日ここでお会いできたことを感謝します。そして、ティム・デイビス家庭の名において、ここにいるすべての人を代表して祈り、捧げます。