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2014年3月14日金曜日

聖書とお金-お金自体が悪ではなく金銭を愛することが悪

お金というと世俗的で宗教とは正反対のものという印象があります。しかし聖書はお金自体が悪ではなく、金銭を愛することが悪だと言っています。

テモテへの第一の手紙6:10
「金銭を愛することはすべての悪の根である。ある人々は欲張って金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。」

ヘブル人への手紙 13:5
「金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。」

お金を愛することによって自分自身を見失い、よく生きるための優先順位が失われてしまうことに問題があるのだと思います。

マタイの福音書 6:33
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのもの(衣食住)はすべて与えられます。」

義、自らの信念や良心を捨ててまでお金を求めるような風潮が現代社会では見られます。

これらのもの(衣食住)はすべて与えられますと言っても何もしなくてもいいということではありません。

箴言10:4
「手を動かすことを怠る者は貧しくなり、勤め働く者の手は富を得る。」

箴言13:11
「急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。」

義、自らの信念や良心に従い、勤勉であることを教えています。

自らの出費に関してはしっかりと管理することも教えています。

ルカの福音書 14:28
「あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。」

借金はしないようにとも教えています。

箴言 22:7
「富める者は貧しき者を治め、借りる者は貸す人の奴隷となる。」

ローマ人への手紙 13:8「互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。」

結論としては聖書はお金に振り回されず、正直、勤勉、自己節制でお金と接することを説いているのだと思います。

2014年3月6日木曜日

聖書とお金-与えられた富を与えてくれた方に返す

生きていく上でお金は欠かせないものです。よく生きるためにはお金とどのように向き合っていくかを考える必要があります。

世界のベストセラー「聖書」の中に出てくるお金に対する教えをもとにお金との向き合い方を考えていきたいと思います。

箴言 3:9
「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。」

米国の大富豪ジョン・D・ロックフェラー ジュニアは生涯収入の1割を献金していたそうです。自分の子供たちにもお金の価値を教えるために収入の1割の献金と1割の貯金、そして残りのお金の使い道を家計簿をつけることを教えたそうです。

ロックフェラーは富は神から託されたものであり、自らはその管理人と考えたそうです。

マタイの福音書25章に下僕にお金を預けて旅に出る主人の喩え話があります。
『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。』

ロックフェラーは神から託された富を増やして世のために使うという意識を持っていたそうです。

自分の財産は与えられたもの、託されたものという意識により感謝が芽生え、その価値を再認識できると思います。
それを世に返そうとすることで、より高い志をもつことができると思います。

2014年2月28日金曜日

信仰-指導者がリーダーシップを発揮するために必要なもの

李登輝・元台湾総統インタビュー 日本への期待 安倍総理への期待」の記事の中で、「指導者がリーダーシップを発揮するために何が必要でしょうか。」という質問に対して、李登輝・元台湾総統が「信仰です。」と回答をされたと書いてあります。

宗教というと弱い人が何かに頼るためのものだという考え方があるかと思います。私も大学で信仰を持つまではそのように考えていました。

しかし人間の真の強さは肉体的強さよりも精神の強さです。スポーツの世界でも、卓越した身体的能力よりも最後は精神的強さがモノを言うように思われます。

上記記事中の李登輝・元台湾総統が以下のように語られたのを見て、信仰が強い指導者を生み出すということを実感しました。

「困難な事態に直面したとき、私は必ず聖書を手にした。まず神に祈り、それから聖書を適当に開いて、指差したところを読み、自分なりに解釈して神の教えを引き出そうとした。自分を超えた高みに神が存在していて助けてくれる。そのような信仰が、一国の運命を左右する孤独な戦いに臨む指導者を支えてくれる大きな力となる。」

米国では大統領の就任式に聖書に手を置いて就任宣誓を行い、宣誓の場合は最後に「So help me God.」と付け加えるのが慣例だそうです。

安部首相が自らの信念・信仰でリーダーシップを発揮し続けて下さることを期待したいと思います。



2014年2月7日金曜日

科学と神

科学と神(あるいは宗教)は相反するものと思われがちです。中世キリスト教の時代には科学は神への背信というように捉えられたこともあります。現代では神や宗教は非科学的で遅れたものだとみなされがちです。

しかし最近の科学の進歩は神の領域へと至ろうとしているような感があります。

宇宙の起源を説くビックバン説が本当だとすると、ビックバンの起こる前は何があったのかという疑問が生じます。ビックバンにより時空の世界が生じたとすると、時空を超えた世界もあっても不思議ではないということになります。それこそ神の世界です。

STAP細胞のニュースがありました。生まれて間もないネズミのリンパ球に外部から刺激を加えて、多様な細胞に変化しうる万能性を備えた状態に戻す(初期化する)ことに成功したというものでした。

生物の細胞ってコンピューターのように精密なプログラミングがなされているんだと感じます。どうやってそんなプログラミングがなされたのかと考えてしまいます。

進化は突然変異によって起こったとされます。進化も実は既にプログラムがなされていて、ある条件のもとでそのプログラムが活性化されて起こったとも考えられます。

科学の進歩に伴い、生命の神秘の背後に緻密なプログラムを組んだ存在を考えざるを得ない状況です。

今は科学と宗教が共に手を取り合って真理を解明する時代ではないかと思います。

2014年2月3日月曜日

奉仕は祝福という生き方

私は昭和46年生まれです。いわゆる団塊ジュニア世代です。子供が学校や町にあふれていた活気のある時期でした。それだけに受験などの競争も激しかった時期でした。受験の時期など志望校に入るためにまわりの同期生よりも試験でいい点を取らないといけないというような環境でした。

しかしそういう環境下でも本心は自己中心の思考よりも自他的な思考を求めるものです。

大学でとある真理を探求するサークルの寮である種のカルチャーショックを受けたことが記憶にあります。食事の後にじゃんけんをするのです。何のじゃんけんかというと、皿洗いをする人を決めるためのものです。負けた人が皿洗いをすることになりのが普通ですよね。そこでは勝った人が皿洗いをするのです。奉仕することは祝福であり、特権であり、じゃんけんで勝つことでそれを得ることができるというのです。競って奉仕しようとするのです。

90年代に出版された脳内革命という本に気分をよくする脳内モルヒネという物質について書かれていました。肉体的あるいは物質的な欲求が満たされた時にでる脳内モルヒネには限度があるけれど、奉仕などの精神的な欲求が満たされた時にでる脳内モルヒネには限度がないというようなことが書かれていた記憶があります。

競って奉仕しようとし、喜びを得るというのは実は的を得た実践なのではないかと思います。よりよい社会をつくり上げるのにも貢献しそうです。心の健康にも実にいいと思います。

2014年1月17日金曜日

お天道様は見ているという生き方

2013年食材偽装の問題が大きな社会問題になりました。

一つには日本人の凝り性の問題があるでしょう。

私の現在住んでいる米国ノースカロライナのレストラン等でそれほど食材を全面に出して、客引きしようとしているところは見かけません。どこどこ産の何々が入っていますと言われて、どれだけの人がそれを舌で見分けられるかなあと思ってしまいます。米国人は合理主義なのでそんなことしてもしょうがないと考えるのではないでしょうか。

私が高校生の頃、「美味しんぼ」という漫画をよく読んでいました。「こっこれは。。。」とか言ってどこどこ産の何々を使っているとかって言い当ててたような記憶があります。

実際そんなことは難しいと分かっているので、ばれることはないと考えて有名所のホテルのレストラン等が食材偽装をこぞってしていたのでしょう。

ここでもう一つの問題があります。ばれなかったら道徳に反することをしてもいいという考え方です。他人の目を基準にして生きるとそうなりがちです。

「お天道様は見ているという生き方」が必要ではないかと思います。真っ当な生き方、真っ当な商売こそが長い目で見た時に目に見えない力に導かれるようにして成功につながるという信念があれば、一時的な利益や成功を追求したくなる誘惑に打ち勝って、正しい道を選べるのではないかと思います。

正直者がバカを見る世の中と言われますが、お天道様は誰を応援するでしょうか。私達でも正直に生きている人間と偽って生きている人間のどちらを応援したくなるでしょうか。

道徳教育をしっかりして、「お天道様は見ているという生き方」を多くの人が自然にできるようになれば、もっとよい社会になると思います。

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2013年12月19日木曜日

宗教ってありがたいもの

宗教と聞いて、どういうイメージが湧くでしょうか。胡散臭いといった否定的なイメージのほうが肯定的なイメージよりも先にくることが多いのではないでしょうか。

でも私は宗教ってありがたいものだと思います。普段は神仏など関係ないと言って、生活していても、人智や人の能力・努力でどうしようもない事態に遭遇した時にはどうでしょうか。家族や友人など愛する人を亡くした時にはどうでしょうか。神仏を意識しないではいられないのではないでしょうか。

これを書いている2013年12月19日はクリスマスの時期です。この時期私の住んでいるアメリカではクリスマスの歌がずっと流れているラジオ局がたくさんあります。

その中で聞いていて涙が出そうになる曲に「Christmas Shoes」があります。不治の病にかかった母親の最後に素敵な靴を買って履かせてあげようとする息子のことを歌った歌です。

歌の最後は 「Mama meets Jesus tonight. (ママは今夜イエス様に会うんだ。)」というフレーズで締めくくられます。そのフレーズに慰めを感じずにはいられません。

科学万能の現在社会においても宗教が人類に果たすべき役割は大きいと思いますし、それを正しく認識し、人類をよい方向に導くための役割を宗教が担うことを奨励する必要があると思います。

このブログで宗教の肯定的な側面を探し、宗教の価値の再評価をできればと思っています。私のテーマの真理探求と心の不老不死に宗教はなくてはならないものだと思っています。

2013年12月6日金曜日

マンデラ南アフリカ共和国元大統領の死去に思う

マンデラ南アフリカ共和国元大統領の死去のニュースを2013年12月5日に目にした。

7年間の牢獄生活を送りながらも、信念を貫き、人種差別アパルトヘイトの撤廃を実現に導いた人物です。

変革を標榜する人物は多くの困難や迫害に遭遇するものです。

マンデラ南アフリカ共和国元大統領はその典型例です。

しかしながら、そういう人物がいてこそ、人類はよりよい方向に向かっていくことができるのだと思います。

マンデラ南アフリカ共和国元大統領の冥福をお祈り申し上げます。

また私はある人物のことを思いました。私が18歳の時に出会った真理を解き明かした文鮮明先生です。

この方も人類をよりよい方向に向かわせるために尽力され、一生の間に日本、現在の北朝鮮、韓国、そして米国で合わせて6度も投獄されました。今なお誤解されていることが多い人物です。

文鮮明先生の生涯が正しく評価される時が早く訪れることを思ってなりません。

関心のある方は文鮮明先生の自叙伝を一度読んでいただけると幸いです。

このリンクから PDF のファイルをダウンロードできます。