Triangle Family教会の説教日本語訳 ー 「自身が何者であるかを探求して」2023年11月19日 原文説教
「自身が何者であるかを探求して」という題目でお話したいと思います。日曜学校の「醜いアヒルの子」のレッスンからヒントを得ました。若い聴衆が興味をもって聞いてくれることを願います。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスと古代中国の哲学者老子は、自分自身を知ることについて言及しています。
「自分自身を知ることは、すべての知恵の始まりである。」アリストテレス
「他人を知ることは知性であり、自分を知ることは真の知恵である。」老子
創世記1:27の聖書の一節を読みます。これが今日のメッセージの鍵になりますので、この聖書の一節を心に留めておいてください。
「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」
アイデンティティについて考えさせるために、2つの物語を紹介したいと思います。最初の話は、羊に育てられたライオンの話です。
あるとき、身ごもったライオンが出産後すぐに死んでしまいました。生まれたばかりの子ライオンはどうしていいかわかりませんでした。彼は歩き回り始め、羊の群れに出会いました。母羊はその子ライオンを見て、彼を自分の子として育てることにしました。
彼は羊とともに成長し、羊のように考え、行動するようになりました。羊のように草を食べたりもしました。
彼は他の羊たちから、あまりの違いにからかわれました。「お前の声は変だ。お前は羊の家族の恥だ。」とまで言うものもいました。
彼は羊たちと違っていることに心を痛めました。
ある日、年老いたライオンが羊の群れを見つけ、襲うことにしました。襲っている最中、老ライオンは若いライオンが他の羊と一緒に逃げていくのを見ました。
年老いたライオンは好奇心に駆られ、若いライオンを追いかけることにしました。
他のライオンを見たことのない若いライオンは、恐怖に震えながら言いました。「私はただの若い羊です、どうか逃がしてください」。
それを聞いた年老いたライオンは言いました。「何だと。お前は羊ではない。私と同じライオンだ。」
若いライオンは言い続けました。「見逃してください。」
そこで老ライオンは思いつきました。老ライオンは若いライオンを近くの川に連れて行き、自分の姿を見るように言いました。その姿を見て、若いライオンは自分が本当は何者なのかを悟りました。
二つ目の話は、魚が猿に木に登れないとからかわれた話です。
ある日、魚が川岸に近づいて泳いでいると、「水はどうだ?」という声が聞こえました。
魚は木の上に座っている猿を見ました。魚は微笑んで、「水は温かくて気持ちいいですよ。」と答えました。
猿は少し嫉妬して、魚を貶めてやろう考えました。「水から上がって、この木に登ってごらん。ここからの眺めは本当に素晴らしいよ。」
魚は悲しそうに答えました。「木の登り方も知らないし、水がなければ生きていけません。」
猿は魚をからかいました。「木にも登れないようでは、お前はまったく価値のない奴だ。」
この言葉を聞いた魚は考え込み、ひどく落ち込みました。「猿の言うとおりかもしれないな。木にも登れない自分には価値がないのかも。」
川にいた別の魚が、その魚が落ち込んでいるのに気づき、「どうしたの?」と尋ねました。
魚は猿とやり取りについて話しました。別の魚は笑って、言いました。「木に登る方法を知らないから、猿がおまえを無価値だと思っているのなら、泳ぐことも水中で生きることもできない猿も無価値さ。」
数日後、猿は足を滑らせて水に落ち、溺れ死んでしまいました。
アルベルト・アインシュタインが言ったとされる言葉があります。「誰もが天才であるが、木登りの能力で魚を判断すれば、その魚は一生、自分は愚かだと信じて生きるだろう。」
つまり、人にはそれぞれ違った能力があるということです。すべての人を同じ尺度で判断することはできません。
醜いアヒルの子や羊に育てられたライオンのように、多くの人が人生のどこかで自尊心の低さや否定的な自己イメージに苦しんでいます。
魚と猿の物語に出てくる魚のように、周囲から受け継いだ制限的な信念のせいで、自分の本当の可能性に気づくことができないこともあります。
自尊心の低さは、さまざまな要因によって引き起こされます。
一般的な原因には以下のようなものがあります。
- 幼少期の愛情や積極的な交流の少なさ
- 幼少期のトラウマや虐待
- 失敗や拒絶
- アイデンティティや居場所を見つけられない
アイデンティティを見つけることで、自尊心の低さを克服し、本来の可能性に気づくことができると言えます。
アダムとエバが堕落によってアイデンティティを失って以来、アイデンティティを見つけることは人類の歴史を通して課題となってきました。
アダムとエバがどのようにしてアイデンティティを失ったのかを検証してみましょう。
創世記3:2-5
女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
へびに象徴される天使長ルシファーが言った「神のような者になる」というのは、自分たちのルールを作り、好きなことをし、好き勝手な人になるということであって、本当の意味での神のようになるというのとはまったく違います。
ルシファーによって導入された神のような者になるというコンセプトは、特に若者にとっては聞こえがいいでしょう。今日の社会は、ルシファーと同じように若者たちに教えています。しかし、アダムとエバがルシファーに教えられたとおりに行動したために、アダムとエバ、そしてその子孫たちに何が起こったかを覚えておく必要があります。
アダムとエバは悪を知り、罪深くなり、神から離れたので、神との霊的な類似性を失いました。
アダムとエバは神との人格的な類似性を失い、恥じ、恐れ、罪のゆえに互いを責め、神を責めるようになりました。
帰属の場所は、私たちのアイデンティティを見つけるための重要な要素です。人間は社会的存在であり、一人では生きていけません。私たちは自然に帰属の場所を求めます。
帰属意識とは、ある集団の一員であることが受け入れられ、包摂され、アイデンティティが確立されたときに感じる安心感や支えのことです。
しかしながら、帰属の場はアイデンティティを見つけるための諸刃の剣となり得ます。
真のアイデンティティを見つけるのに役立つこともあれば、難しくすることもあります。
2世の間で起こりうる2つの葛藤があります。
1. 教会の外の世界で自分の居場所を見つけられない。
教会・家族と外部の世界での価値観の対立があります。
教会外の世界で自分の居場所を探そうとすると、羊の中のライオンのように、私たちを別の価値観のアイデンティティへと押しやるかもしれません。
2. 教会内に居場所を見つけられない。
教会が自分の居場所ではないと感じる理由はたくさんあります。
熱心なメンバーを見て、「自分も彼らのようにならなければ教会に所属できないのだろうか」と思うかもしれません。
教会がやっていることは理にかなっていないかもしれないし、自分が教会に所属しなければならない理由を見つけるのは難しいかもしれません。
ひとつ覚えておかなければならないのは、私たちの真のアイデンティティーと帰属の場所は、神との関係の中に見つけられるということです。神は、神への信仰を持つ者だけの存在ではなく、すべての人のための存在です。私たちは教会から逃げることはできても、神から逃げることはできません。神はどんなことがあっても私たちに手を差し伸べ、神のようになるチャンスを与えてくださります。
私は最近、オスカー・シンドラーのことを学び、彼の背後で神が働いておられると感じました。彼は間違いなく偉大な人物でした。
彼はホロコーストの際、ポーランドの工場でユダヤ人を雇用し、1,200人の命を救いました。1993年、彼と妻のエミリーはイスラエル政府から「諸国民の中の義人」に選ばれました。
しかし、彼は最初から偉大な人物だったのでしょうか?
彼は当初、自分自身と金儲けビジネスの成功だけを考えていました。
若い頃のニックネームは「詐欺師のシンドラー」でした。
彼は1931年と1932年に何度も公然酩酊で逮捕されています。また、この頃、結婚生活以外の不倫関係もありました。
彼はユダヤ人という人種を、手っ取り早く、安く、簡単に自分のために働かせ、金儲けを始めることができる方法だと考えていました。
今日のキャンセル文化であれば、総スカンされてもおかしくありません。しかしその後、彼はユダヤ人の命を救うために財産を費やすというように変わりました。
ユダヤ人の命を救うという彼の動機が完全に明らかになることはありませんでした。彼の口からもはっきりとした動機は語られませんでした。神が彼をユダヤ人の希望の光に変えたのだと思います。
神はすべての人が世の光となることを望んでおられます。
天台宗の教えに「一隅を照らす」というものがあります。
そこにはこう書かれています。
「国家の富は物理的な富ではなく、仏陀を信仰し、それによって暗闇を照らす個々人にあります。誰もが自分の中に仏性を持っており、私たちはこの深遠な真理に目覚めなければなりません。」
ウィリアム・シェイクスピアの『ヴェニスの商人』からの引用です。
「その小さなろうそくが、どれほど遠くまで光を放つか!その小さなろうそくは、なんと遠くまでその光を放つことだろう。」
イエス様は言われました。
「あなたは世の光である。人々があなたの良い行いを見て、天におられるあなたの父をあがめることができるように。」
Netflixの番組『All the Light We Cannot See』に感銘深い言葉がありました。
「光が輝くとき、闇は消える。」
真のお母様は、神のひとり娘であることを大胆に宣言されています。
ありがたいことに、私たちにはこのような真のお母様がおられます。
アダムとエバの堕落以来、神の子としてのアイデンティティは失われてしまいました。
神の子としての真のアイデンティティを宣言することは、非常に難しい課題です。
それを成し遂げたのは、イエスと真の父母だけです。
皇帝、王、大統領、指導者のような権力者たちは、自分たちの利益のために神の名を利用し、ルシファーがもたらした概念である偽りの「神」のように振る舞いました。
真のお母様が「神の唯一の娘」と宣言されたことを、偽りの「神」概念の色眼鏡で見る人は容易に誤解するでしょう。
真のお母様は、他の誰よりも自分を上位に置くこと目的に宣言されたのでしょうか?
真のお母様は、常に私たちに神の孝子であれ、孝女であれと言っておられます。
若いライオンは、自分の姿を映し出す鏡を見て、自分のアイデンティティを見出しました。真のお母様は、私たちが自分自身を見つけることができるように、神の姿を映し出してくださっているのです。
真のお母様のみ言葉を読んで、私のメッセージを締めくくりたいと思います。
「私たちは、真の父母様と祝福された子女たちが天の父母様と共に生きる天国の生活を地上に創造しなければなりません。
この美しい地球は6000年もの間、人間の無知によって自然災害に見舞われてきました。これは深刻な問題です。将来、生物が生きていくための酸素や水が足りなくなると言われています。今日、私たちがこの世界を改善し、愛する子供たちのためにこの未来を変えることができないとしたら、親として心が痛みます。私たちは何をすべきなのでしょうか?私たちは、正しい人々、プロフェッショナルな人々、天がこの時代のためにあらゆる方法で用意した人々を導かなければなりません。
ですから、皆さんには明るく幸せな未来が訪れることを願っています。たとえ親不孝者であったとしても、皆さんが創造主である天の父母様に親孝行な息子や娘になることを心から願っています。」
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