2023年12月12日火曜日

当事者意識(オーナーシップマインド)

Triangle Family教会の説教日本語訳 ー 当事者意識(オーナーシップマインド)2023年6月18日 原文説教

兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。タラントンンのたとえ話を読みたいと思います。新約聖書のマタイによる福音書25章からです。タレント(タラントンは英語の聖書では「Talent」となっています)には2つの意味があります。一つは、ご存知のように才能です。もうひとつは通貨単位です。このたとえ話におけるタラントンの文字通りの意味は、通貨単位です。しかし、このたとえは、神から与えられた才能を暗示しています。読んでみましょう。 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。 さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。 29だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 このたとえ話は何を教えているのでしょう? このたとえ話は、自由市場資本主義を示しているのでしょう? 「金持ちはより金持ちになり、貧乏人はより貧乏になる。」 イエス様は資本主義者だったのでしょうか? イエス様は、天の御国は自由市場の資本主義の世界のようなものだと言われたのでしょうか? このたとえ話によって、イエス様は資本主義者だったと言う人もいます。ご存知のように、イエス様は社会主義者だと考える人も多いです。イエス様が資本主義者であったか社会主義者であったかは、今日の話題ではありません。その議論は脇に置いておきます。 今日は、当事者意識と被害者意識という2種類のマインドセット(思考・行動パターン)についてお話したいと思います。 最初の二人のしもべは、主人からもらったタラントンで、もっと善のためにできることはないかと考え、行動しました。 一方、最後の一人は、自分がもらったタラントンの意味を考えず、何も行動を起こしませんでした。主人を恨んでいたかもしれない。他の2人のしもべが5タラントンと2タラントンと、自分よりはるかに多くのタラントンを受け取っているのと比べて、人生は不公平だと感じていたかもしれません。 「銀のスプーンをくわえて生まれてきた」という英語の慣用句があります。非常に裕福な家庭に生まれ、恵まれた環境で育つことを意味します。同じような表現は韓国や日本にもあります。 韓国では수저계급론(スプーン階級説)。日本では親ガチャです。 これらの表現は通常、不平不満をこめて使われることが多いです。これらの表現の背後にどのようなマインドセットが見られるでしょうか。 それは被害者意識です。人生は不公平で、私の人生は私の境遇に左右されると言っているのです。私たちの思考は被害者意識に向かいがちですが、どうしてでしょうか? 私たちの祖先に遡って考えてみましょう。被害者意識は人類始祖から始まっています。創世記3章12-13節に、アダムとエバが堕落した後の言い訳が描かれています。 アダムは答えた。 「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」 13主なる神は女に向かって言われた。 「何ということをしたのか。」 女は答えた。 「蛇がだましたので、食べてしまいました。」 アダムは「私が堕落したのは、神とエバのせいです。私は被害者です。」と言ったのです。 エバも「私はルシファーのせいで堕落しました。私は被害者です。」と言ったのです。 創世記4:4-5。 主はアベルとその献げ物に目を留められたが、 5カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。 アダムとエバの長男のカインもまた、神が自分の捧げ物を受け取られなかったとき、犠牲者意識に陥ったのです。 私たちはしばしば、被害者意識に陥る困難に直面します。聖書に登場するヨブは、そのような困難に直面した一例です。 ヨブは義人であり、常に善行を行い、徳と富を持ち、名誉ある人物として皆から賞賛されていました。ところがある日、ヨブの状況は一変しました。親友に裏切られ、災害で財産を失い、家族全員が死んだのでした。この世の苦しみを味わったヨブは、「私は何も悪いことはしていない。立派な人間として生きようと毎日努力している。でも、なぜこんな目に遭わなければならないのだろう?」と。 絶望の淵で、ヨブは神に祈りました。「もうこれ以上生きられません。死なせて下さい。」その時、彼は "ヨブよ!"と呼ぶ神の声を聞きました。ヨブは注意深く耳を傾け、「お前ははこれまでよくやった。」と神が慰めてくれることを期待ました。神の声ははっきりと聞こえました。 「男らしく、腰に帯をせよ。」 ヨブ記38章3節 神が彼に与えた言葉はこれだけでした。 しかし、この言葉によって、ヨブはまっすぐに立ち上がりました。彼は、人生は神の恵みであり、人間が作り出せるものではないと悟ったのでした。ヨブは背筋を伸ばし、神を見つめて歩むことを決意し、恵みを受ける者としてふさわしく生きることができるようになったのです。 神はヨブに自分の人生に対する当事者意識を引き出されたのです。 私たちが人生で困難に直面し、ヨブのような被害者意識に陥りそうになったとき、何を思い起こす必要があるのでしょうか。 神は当事者意識の源です。原理講論には「人間の堕落は人間自身の過ちの結果である。しかし、神にも創造主としての責任がある。神は、人間の過ちの結果を、堕落前の元の状態に回復する必要に迫られている。神はあらゆる手段を使って、悲しみに満ちたこの罪の世界を救われる。」とあります。 私が初めて原理講論を学び、人間の苦しみに誰かが責任を負うと知ったとき、私は安堵と希望を感じました。 当事者意識は、究極的には天の父母様のマインドセットです。「ひとり子」「ひとり娘」「真の父母」とは何を意味するのでしょうか。 イエス様と真の父母様は、天の父母様と同じように、すべての人類に対する当事者意識を持っておられます。全人類の罪の責任を負われたのです。 イエス様と真の父母が当事者意識を持って責任を負われた例です。 パームサンデー(エルサレム入城の日)はイースターの前の日曜日です。イエス様は裁判にかけられ、十字架にかけられることを承知でエルサレムの町に入られました。もしイエス様がエルサレムに戻らなければ、十字架にかからなかったかもしれません。しかし、イエス様は全人類の罪に対する当事者意識で責任を取るためにエルサレムに行かれたのです。 真のお父様は6回も牢獄に入られました。避けることもできましたが、全人類を救うために当事者意識で責任を負われたのです。 真のお母様の決意。真のお父様が昇天された直後のメッセージです。「お父様が聖和された瞬間、私はお父様に、お父様が人類のためにしたいと願われたすべてのことを、私の地上での最後の日までに成就しますと約束しました。」 真のお母様のメッセージ 2012年9月23日、私たちは今、統一教会を生きた教会にします。 ある人は、「ひとり子」「ひとり娘」「真の父母」という言葉は、その人を特別な存在、神のような存在にするために使われていると言うかもしれません。実際には、人類に対して全責任を負うという決意を意味する言葉なのです。 結論として、当事者意識を持つにはどうすればよいのでしょうか。まず、自分の持っている才能を振り返ることです。自分には特別な才能はないと思うかもしれません。しかしながら私たちの人生そのものが神からの贈り物なのです。神は私たちの命を与え、私たちの命は多くの犠牲の上に成り立っているのです。あなたが生まれてきたのは、お母さんの犠牲のおかげです。母親は9カ月間、赤ちゃんをお腹に抱えます。その犠牲がなければ、あなたは生まれてくることができなかったのです。 次のポイントは、自分が受けた才能の意味と目的を考えることです。 天の父母様のように考え、その才能を公共のために使うのです。人より多くの才能を持って生まれた者は、それを世のため人のために使うことを求められるのです。その才能を私利私欲のために使ってはならないのです。 自分の才能を公共のために使えば、私たちは自分の才能の所有者になるのです。 天一国の主人になりましょう!家族盟誓は、一から八まですべて「天一国主人私たちの家庭」で始まります。私たちは天一国の主人になることを願われているのです。私たちができる小さな一歩は、Triangle Family 教会の主人として日曜礼拝に参加し、十分の一献金をすることです。特に若い人は、親が教会に来ているから仕方なく日曜礼拝に来ているかもしれません。しかし、最終的にはTriangle Family 教会の主人として日曜礼拝に来るべきです。あなたには7日間24時間の時間があります。もし、あなたが週に2~3時間でも時間を捧げるなら、神はあなたのすべての時間を祝福してくださるでしょう。 もしあなたが収入の1割を捧げるなら、神はあなたの収入のすべてを祝福してくださるでしょう。 祈りましょう。親愛なる天の父母様、本日はありがとうございます。私たちは、天の父母様を礼拝するためにここに集まりました。天の父母様は、私たちが天地創造の主人となることを期待しておられます。そのために私たちに責任を与え、その責任を果たし、天地創造の主人となり、天地創造を楽しむことを期待しておられます。残念ながら、アダムとエバはその責任を果たすことができず、被害者意識に陥ってしまいました。人類の歴史を通して、人々は被害者意識に陥りました。その後、イエス様と真の父母様がこの地上に来られ、私たちが主人になることを教えられました。私たちに主人になる模範を示してくださいました。全人類の罪の全責任を負われました。極限の苦しみを味わわれましたが、決して不平を言わず、あきらめず、責任を取り続けられました。私たちが責任の一部を負い、主人となり、神の創造物を完全に享受することを期待しておられるのです。天の父母様、それは簡単なことではありません。私たちは人生で多くの困難に直面します。しかし、私たちの人生は神から授かったものであることを思い出させて下さい。天の父母様からの授かりものなのです。困難を克服する力を持ち、天一国の主人とならせて下さい。天の父母様、ありがとうございます。ここに集いました祝福中心家庭の名において、すべてのことをご報告いたします。

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