2023年12月19日火曜日

イエスキリスト誕生

イエスキリスト誕生

今日世界中に10億を超える信者を抱えるキリスト教の信仰の中心であるイエスキリストは今から2000年前イスラエルのベツレヘムで誕生したとされます。イスラエル民族のメシヤの到来への期待を背にした誕生でした。

受胎告知教会現在のナザレの地で、ある時聖母マリヤは天使長ガブリエルからお告げを受けたとされます。

「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう。」---「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」
(ルカ1:31-38)

これを記念して、326年コンスタンチヌス大帝の母ヘレナの頼みにより、マリアの家の跡とされる場所に築かれた教会が中東最大のキリスト教会である受胎告知教会です。受胎告知教会には世界各国のイエスキリストを抱いたマリヤの肖像画があります。日本のものもあり、面白いことにマリヤは着物を着ており、イエスキリストは牛和歌丸のような雰囲気をもっています。



その後マリヤは親戚のエリサベツに会いに出かけます。

立って大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、ザカリヤの家に入ってエリサベツに挨拶した。---マリヤはエリサベツのところに三ヶ月ほど滞在してから、家に帰った。
(ルカ1:39-56)


現在のエルサレム郊外のエインカレムという地に昔ザカリヤの別荘があったとされ、マリアがエリサベツを訪ねたことを記念して建てられたマリア訪問の教会があります。マリヤがエリサベツを訪問した際エリサベツは妊娠6ヶ月であり、胎内の子がマリヤの訪問とともにおどったとされています。

三ヶ月後、マリアは婚約者ヨセフのいるナザレに戻りました。その時マリアは身重になっていました。ヨセフはどれほどびっくりしたでしょうか。しかし、天使が夢に現れてマリアのお腹の子は聖霊によって身ごもったものだと諭されます。科学者の間では卵子に刺激を与えると細胞分裂が始まり、妊娠する可能性もあるなど様々な研究がされたというような話もあります。そのあたりはあまり深く考えるべきではないのかもしれません。

現在日本でも何年かに一度人口調査(国勢調査)が行われていますが、イエス キリスト誕生の時にも大規模な人口調査が行われたようです。イエスの母マリアとヨセフは登録をするためにナザレからはるばるベツレヘムまで旅したようです。ちょうどベツレヘムに来ているときにイエスが誕生されたのです。イエス誕生が西暦の始まりというのが通説ですが、ちなみに当時人口調査を行なったのはローマ皇帝による紀元前7年とシリア提督の行なった紀元前6年であったと言われています。

エルサレムの南の端れ、ベツレヘムにある聖誕教会の中に小さくて暗い岩屋があります。そこでイエスキリストが生まれたとされています。イエスが誕生したときユダヤの地を統治していたのがヘロデ王でした。イエス誕生のその時、ヘロデ王のもとに東から来た博士たちが来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。」と尋ねたとされ、それを聞いたヘロデ王は自分の地位を脅かすものとして恐れ惑い、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺すよう命じました。


それに対し天使が夢でヨセフに現われてエジプトへ逃げるように警告したとされています。そしてヨセフ一家はヘロデ王が死ぬまでエジプトに滞在し、ヘロデ王の死後イスラエルの地に戻ったそうです。モーセの誕生と出エジプトの話のパターンにどことなく似ています。ヘロデ王が亡くなった年は紀元前4年であり、以上のことからキリストが生まれたの本当の年は紀元前7~4年と考えられています。

ところでここで出てくるヘロデ王はソロモンに匹敵する建築魔と言われ、壮麗な建築物を多く建設しており、それが今イスラエルの観光名所となっています。イスラエルの商業と産業の中心テルアビブから50kmほど北上したところに位置するかつてローマの総督府が置かれた町カイザリヤには円形劇場を始めローマ風の遺跡が数多くあります。70年のユダヤ戦争最後のユダヤ人が立てこもり自害して果てた死海沿岸のマサダの遺跡もヘロデ王が建てた宮殿跡です。

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