2023年12月19日火曜日

イエス誕生前のイスラエル

イエス誕生前のイスラエル

紀元前597年に新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを始めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行されるバビロン捕囚が起こりました。

ユダの王エホヤキンはその母、その家来、そのつかさたち、および侍従たちと共に出て、バビロンの王に降服したので、バビロンの王は彼を捕虜とした。これはネブカデネザルの治世の第八年であった。
彼はまた主の宮のもろもろの宝物および王の家の宝物をことごとく持ち出し、イスラエルの王ソロモンが造って主の神殿に置いたもろもろの金の器を切りこわした。主が言われたとおりである。
彼はまたエルサレムのすべての市民、およびすべてのつかさとすべての勇士、ならびにすべての木工と鍛冶一万人を捕えて行った。残った者は国の民の貧しい者のみであった。さらに彼はエホヤキンをバビロンに捕えて行き、また王の母、王の妻たち、および侍従と国のうちのおもな人々をも、エルサレムからバビロンへ捕えて行った。
またバビロンの王はすべて勇敢な者七千人、木工と鍛冶一千人ならびに強くて良く戦う者をみな捕えてバビロンへ連れて行った。
(列王記下24:12-16)

紀元前547年、ペルシャ帝国のクロス王はバビロニア帝国の北側を支配下に置き、自らを「解放者」と宣伝し、諸国民のバビロニア帝国への不満をうまく吸収し、紀元前539年にバビロンに入城し、紀元前538年、その言葉どおり諸国民に自国への帰還と宗教復興を布告しました。

これはエレミヤの口によって伝えられた主の言葉の成就するためであった。こうして国はついにその安息をうけた。すなわちこれはその荒れている間、安息して、ついに七十年が満ちた。
ペルシャ王クロスの元年に当り、主はエレミヤの口によって伝えた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの霊を感動されたので、王はあまねく国中にふれ示し、またそれを書き示して言った、
「ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」。
(歴代誌下36:22-23)

バビロニア捕囚中のイスラエル民族の中には、ダビデ王家はもはや神に見捨てられた人々と考える人々と、このダビデ王家を中心に国は再建されると考える人々がいましたが、バビロンの捕虜生活から帰還してきたイスラエル民族は、破壊された神殿を再建し(紀元前515年、現在第二神殿と呼ばれている新しい神殿が完成)、マラキ預言者の指導によって、邪神を崇拝してきた過去の罪を悔い改めながら、律法を研究し、信仰の刷新運動を起こしました。マラキは、律法が厳格に守られず、特に犠牲の祭儀がないがしろにされ、異教徒との結婚が行われ、結婚の契約が破られ、十分の一税が納められていないことを批判しました。またイスラエル民族のメシヤ待望の期待に拍車をかけるように、メシヤの降臨に先立ち、預言者エリヤが遣わされることを説きました。

見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。(マラキ4:5)

ちなみにマラキ預言者というのは南北に王朝が分裂していた時代に登場した代表的預言者です。

メシヤという言葉は、ヘブライ語で油を注がれた人を意味し、特に王を意味する言葉です。メシヤ到来により他国の属国となるなど苦難の道を行くイスラエル民族は解放され、イスラエルが復興すると信じられていました。

2000年近く流浪の民として世界各地に散らばり、多くの迫害を受けつつも、自らの伝統を守り続け、異様なまでの執念でイスラエル建国を果たしたユダヤ人の強さはこのメシヤ思想に由来するところが多いのではないでしょうか。

イスラエルでイエスキリスト誕生前に急速にメシヤ到来に対する期待が高まりましたが、その一方イスラエル以外の世界はどの様になっていたでしょうか。その時代に、インドでは釈迦牟尼(前565~485)によって仏教が起こっていました。ギリシャでは、プラトンやソクラテス(前470~399)などの哲学者が現れ、ギリシャ文化が花開いていました。中国においては、孔子(前552~497)が現れ、儒教が起こっていました。地中海には強力なローマ帝国が勃興し、広大な政治的版図と、四方八方に発達した交通の便、そして、ギリシャ語を中心として形成された広範なる文化的版図ができあがっていました。この様にこの時代は特殊な時代であったとみることができます。


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