2023年12月18日月曜日

ユダヤ王国の分裂

ユダヤ王国の分裂

紀元前933年、ユダヤ王国は、南のユダ王国および北のイスラエル王国に分割されました。ユダヤ王国はユダヤの12部族による統一王国でしたが、この分裂により10の部族は、北のイスラエル王国、そして残りの2部族が南のユダ王国を治めるようになりました。

南北の王朝のうち北の王朝は260年間に19回王が交替し、その度に殺害などの陰惨な王室の変遷がなされました。それに対し南の王朝はイスラエル民族のそれまでの信仰を保つ傾向にありました。南から多くの預言者が出て、北の王朝にイスラエルの信仰を保つように働きかけがなされました。預言者エリヤはその代表的存在であり、メシヤの到来に先がけてエリヤが再臨すると信じられるようになりました。

その後北のイスラエル王国は、紀元前722年にアッスリアにより追放され、現在のイスラエルの地には戻らなくなりました。

「ついに主はそのしもべである預言者たちによって言われたように、イスラエルをみ前から除き去られた。こうしてイスラエルは自分の国からアッスリアに移されて今日に至っている。」(列王記下17/23) 

それらはイスラエルの失われた10部族と呼ばれます。この10部族の後孫と考えられる人々がインドやアジア各地に存在しているそうです。そこでは古代のユダヤの習慣が残っているそうです。10部族のうち日本に来た部族もおり、神道の習慣の中には古代のユダヤの習慣から来たものがあるという説もあります。

北の王朝滅亡に続き、南の王朝も中東を広く治め勢力を拡大しつつあったバビロンの攻撃を受けるようになりました。バビロンを強大国家にしたネブカドネザル王はエルサレムを攻撃し、ソロモンの建設した神殿 (第一神殿) を破壊し、南の王朝の王族、大臣をはじめ多くのユダヤ人を捕虜として連行し、南の王朝も滅亡に至りました。

イスラエル民族の苦難の歴史はこのような紀元前の時代にも数多くみられます。


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